2012年9月30日日曜日

センスは街が教えてくれるのさ

 南イタリアはマテーラに行ってきた。サッシと呼ばれる、何百年にもわたって掘られ穿たれた凝灰岩の岩窟住居群だ。単なる観光資源として保存されているだけでなく、実際に生活やお店・レストランとして「生きて」いる町だ。その絶景の描写は写真に譲るとして、その暮らしや人の営みの自然さが印象的だった。こうした観光地にありがちなやや「盛った」演出(やたら綺麗とかあちこちに表示されるおらが自慢的な看板)がほとんど無く、ここに暮らす人々が等身大でこの環境を受け入れ、愛し、だからこそ普通に暮らしている様子が素晴らしかった。観光資源としても、もちろん積極的に活用されていて、ホテルやレストランもご覧のとおりぐりぐりと岩窟を削って空間が作ってある。ホテルのバスルームなんかはもう完全に映画「テルマエ・ロマエ」(往路の機内で観たw)の世界で、でも、モジュールに依存しない自由な空間の広がりは現代の基準で言えば恐ろしく贅沢でむしろモダンで、石壁独特?のキリッとした空気の肌触りがとても気持ち良かった。
 街角の500もあまりに馴染んでいてこれがすでに何十年も前に設計されたクルマには見えず、レトロ回帰が甚だしい現代のプロダクトデザインに比べてもこちらも十分に先進的にすら見えた。
 ぶらぶらしているだけでも建築やデザインについて考えさせられる、イタリアはそういう回路をもっているんだと思う。以前、ミラノの靴職人の「技術はオヤジに教わった、センスは街が教えてくれるのさ」というような言葉を機内誌で見た覚えがあるが、まさにそういう「気圧」を感じる。そしてそれは体内にも取り込まれてそういう意識が内面化されていくのに違いない、と思っておもいっきり深呼吸の旅でした。







2012年9月28日金曜日

やっぱりカッコ良かった


南イタリアに行ってきた。初めてのアリタリア航空。70年代〜80年代、日本ではモータースポーツはまだ暴走族扱いだったが、ヨーロッパでは成熟した紳士のスポーツでありひとつの文化でもあったその大人の雰囲気にクラクラしていた僕は、ほぼ走る芸術といってもいいようなデザインのレーシングカーに熱狂し、絵を描いたり模型を作ったりして少年時代を過ごした。なかでもアリタリアカラーのランチアストラトスの印象は強烈で、アリタリアがなにか理解する前にその緑と赤のデザインは「かっこいいもの」のアイコンだった。
 そのアリタリア航空の機内食、意外にもカトラリーは透明プラのどうしようもないものだったがこのカップには参った。樹脂の2色同時成形はもはや「枯れた」技術でそこに新規性は感じないが、なんといってもこの「佇まい」が素晴らしい。イタリアでプラスチックといえばKartellあたりが白眉だと思うが、イタリア人はプラスチックの使い方が本当に上手いと思う。プラスチックというとどこかしら何かの代替品、特に安価なものにはそうした印象が一般的なようだが、どこにもそうした残念な感じはなく、プラスチック素材の良さを最大限に引き出していると思う。なんといってもこの「透明」ということはガラスがプラスチックにしか出来ない芸当だから。赤い樹脂が透けて見える重厚かつ軽快という相反した印象を1つにまとめているところが凄いと思う。アリタリアのこだわり、素晴らしい。

2012年9月14日金曜日

よりに寄って

 カメラのレンズの種類には「マクロ」レンズというものがある。これは対象にグッと近づいて(数㎝〜1㎝くらい)虫眼鏡で覗いたような世界が楽しめる代物だ。1眼レフや最近流行のミラーレスのようなレンズ交換式のカメラだとレンズそのものを交換する必要があるが、ほとんどのコンパクトデジカメにはレンズ交換なしにマクロ撮影が楽しめる「モード」が用意してある。虫眼鏡で覗く世界は裸眼で見る世界とはどこか焦点の合いどころが違うのか、独特の雰囲気がある。この葉も裸眼ではこんなには葉脈は見えないのだけれど、マクロモードで撮影するとなんとも不思議な質感に映るのだ。
ところで、ウチは川の側ということもあるのか、とにかくカエルが多い。しかもおとなしくて人なつっこい(?)から接写モチーフにはばっちりなのだ。こうやって撮って見返してみるとなんとも表情が豊か。見よこの勇姿!と言わんばかりに勇ましいかと思えば、サッシのすきまでぺしゃんこになってたり、ああ、こんなオッサン居るな〜という渋ちんだったり。本当にフォトジェニックなのです。