2012年11月30日金曜日

芋づる式の好奇心

 先日、秋田県の国際教養大学へ行ってきた。英語での授業や3年次の全員留学などいわゆる国際的人材育成で話題の大学だ。型にとらわれないバイタリティーある学生は企業からも好評で、東大の学生よりよっぽど役に立つ人材が多いとも。話題によってバイアスがかかっていることは否定できないが、差し引いて見ても、学生のピリリとした自立した様子はたしかにアメリカやヨーロッパで見る自立した”大人”としての学生象に近いものを感じた。それぞれが自分の興味や関心をしっかり自分の中心に据えているか、否か、というのは、大学で毎日学生を見ているとなんとなく見えるようになるものなのだ。目を見れば分かる、というと蓋然的すぎるだろうか。ともあれ、教育のプログラムだけで学生がそんなに都合良く変わるものならどこでも同じプログラムを導入すればいい。でもそうはならない、なっていない、という理由はまさにそういうプログラムが展開する「場」の力に因る部分が少なからず存在するということなのだろう。ここはまさにその「場」が体現されている。その象徴たる図書館。設計は仙田満+環境デザインコスモス共同企業体、構造計画は山田憲明氏の木と鉄のハイブリッドで構成された傘のような造形は日本建築構造技術者協会作品賞を受賞している現代の傑作だ。書架の配列は大英博物館図書館等に見られるいわゆくコロッセオ式の半円状なので、空間の中心に立つと書架のすべてが一覧できるのだ。情報の一覧性という点ではネットはとても適わない。すでに興味がある対象がはっきりしていてそれについて網羅的に情報を収集するには、ネット検索はほぼ完全な手段であるが、何に興味があるか分からないけど、たとえばなんとなく芸術がおもしろそう。。。というぼんやりした興味の本当のありかを自分の中に見つける、という作業はネットには不可能だ。しかし、この「なんとなくおもしろそう」という予感のようなものを刺激するには物理的な知的情報の海を回遊するという体験が不可欠なのだ。例えば、キュビズムが面白そうかも、と思ってこちらでピカソの画集を眺めていたらその向こうの書架のマルクスが何故か気になり社会主義下の芸術ってどんなもんだろう?という疑問からロシア・アヴァンギャルドなる芸術活動を知るに至り、そこからシェーホフのラジオ塔がカッコえ〜と感動して、結局建築の勉強を始める、というような芋づる式の知的好奇心の連鎖は図書館のような場所でしか起こりえない。ここはこうした体験を24時間味わえる、とても贅沢な空間なのだ。この図書館がどれほど学生に自由で豊かで創造的な知性を育んでいることだろうか。この大学は「場」の力を良く理解していると思う。


2012年11月7日水曜日

無い方がいい?ある方がいい?


今年はやや暖冬傾向とのことで、実際10月にほとんどストーブを焚くことなく過ごせた。冷え込みもあまりひどくないので紅葉も今年は遅め、かつ色合いも柔らかだ。今週末くらいがモミジも綺麗かな、というタイミングに長期出張で見られそうにないので、今朝の家のまわりを写真におさめてみた。意外に緑が残っている方が赤や黄色が鮮やかに見えるのか、「燃えるような」ほどではないけれど、穏やかな色彩がかえって良かった。
しかし、日本の景色の中で電柱・電線は邪魔だなと思う。埋設の是非はあろうと思うが、こと景色だけに限って言えば圧倒的に埋設の方が文化的だと思う。以前、ロンドンのApple Storeで、写真編集ソフトを使って不要なモノを消すレタッチの素材に、俯瞰で撮った富弘美術館の景色が使われていて、ひたすら電柱・電線を消していた。「日本のスバらしい建築の写真ですが、なぜか残念な感じに撮れていますね」というフリからレクチャーを始めた彼は建築を勉強している学生だったようだが、考えてみれば建築パースにわざわざ電柱・電線を描き込む人も居ないよな、と思うと、みんなやっぱり無い方がいいと思っているんだろうな。
逆に「見せる」ことを意識すれば電柱・電線のデザインも変わるかも知れない。「山の稜線に対してあの電線のラインがいいね〜」みたいな。以前展覧会で訪れたイギリス中部ランカシャーの片田舎Clitheroeで見た電線はいずれも放射状に伸びていて整然として青空にアクセントを与えていた。ちなみにこのギャラリーは「Platform Gallery」といって、まさに駅舎の一部がギャラリーになっているというところ。アクセス抜群。





2012年11月4日日曜日

鎮める力

 秋の陽気に誘われて近くをドライブしていたら、なぜか近所の採石場の入り口に「鷲倉神社はこちら」なる、急作りの案内板が。採石によって日に日に姿を変えている(はず)の小高い山の向こう側に神社があるのは地図上では確認していたものの、ウチからは山の反対側からしかアクセスできないものと思っていたので、これ幸いと案内板に誘われるがままに行ってみた。「まんま」採石場を抜けると山の頂上に小さなお社が。なんでも毎年文化の日(たまたま今日だった)には寄り合いがあるそうで、地元のおじさんたちがたくさんいらっしゃって、一杯飲んでご機嫌なのか、いきなり赤飯をごちそうになった。と、おもわず目に飛び込んできたのがこのご神木。なんと樹齢500年。手持ちの携帯カメラではとても全貌は収まらない大迫力。鬱蒼とした杉林を一直線に登ってくる180段の石段といい、小さい割に造作のしっかりしたお社といい、随分と時の重みを感じる神社でした。近所にこうしたなにかを「鎮め」てくれそうな見えざる力が漲った場所があることに少し安心した、空の高い文化の日でした。