2012年12月31日月曜日

めでたいかたち

 ふと立ち寄った本屋で見つけた切り紙が前から気になっていたのを思い出して、正月飾りに。ウチの実家は季節毎の設えも日本人として忘れない程度のものだったのでこうした切り紙には馴染みがなかったのだが、やっぱり自分の家、しかもこんなに自然に囲まれているとどっかしら神という存在が意識されるというか、そういう気持ちの依り代のような場所や設えを整えると気持ちがおさまってくる。地域固有のかたちがあるのだと思うが、今年は岩手の鯛の御幣にしてみた。半紙を四つ折りにして型紙どおりにカッターでしこしこと切り抜けばハイこのとおり。松葉と千両で少し華やかにしてみたら伝声管の赤ともいい具合に馴染んだ。

 あれ?レーザーカットじゃないの?というツッコミはご容赦。そこは手で切るからこそ、こもるものがあるというもので、カッターよりは切り出し、それも肥後守あたりで切るのが作法というものかも知れない。しかし、この型紙も市販のもので、伝承切り紙から作られているものの「電脳編集」と記載されているあたり、型紙そのものはおそらくデジタルデータで作られているはずだ。それを手で切ることで、つまりデジタルだけではなく、手作りのプロセスを経ることではじめて「依り代」としてのなにかが宿ったものが出来上がる。手で作ることの意義や意味は畢竟、この「なにかが宿る」ことに尽きると思う。たとえその過程にテクノロジーが介入しようとも、最終局面に手を尽くして佇まいを整えることが出来れば、それは十分に「手作り」と言えると思う。。と大晦日を迎えてもやっぱりいつもと同じことを思うのであった。


2012年12月29日土曜日

月光


ついに今年も白い季節がやってきた。例年よりはやや遅れての積雪だが、10センチくらい積もればよっぽど暖かい日が続かない限りはもう春まで雪が消えることはない。朝起きたてに見る一面真っ白な景色も息をのむほど美しいが、明るい月夜に照らし出される景色は青白く静謐で、これまた透き通るように美しい。このあたりの星の美しさもさることながら、満月前後の月の明るさもまた格別だ。写真に詳しい人なら、この写真のISO125 F1.8/4"という撮影データから、いかにこの景色が明るいかが分かるだろう。ちなみに撮影時刻は深夜12:35。この月光に浮かび上がる木の陰は、怖い絵本のワンシーンのようでもあり、神秘的な版画のようでもあった。

2012年12月23日日曜日

レンブラント光線


 我が家の東側はこのあたりで「イグネ=家久根」と呼ばれるいわゆる暴風のための屋敷林が広がっている。泉が岳からの吹き下ろし対策としては屋敷の西側に家久根が配置されることが多いようだが、この家久根の東側にはすでに家はなく、我が家にとっては配置が逆になるのだが、それでもこのあたりで渦巻く谷風をうまく減衰してくれていると思う。一方で、朝日を遮ってしまうので、この季節は朝方の暖まりが遅くて痛し痒しといったところだ。
 屋敷林というだけに、家久根は屋敷の大きさに合わせて作られる。当然大きな屋敷には大きな家久根が必要で、屋敷林はその家の格式を表すシンボルとも言える。一部を燃料などの用材に利用するものの、全てを失うことに対しては非常な抵抗感があるそうだ。この家久根だけが残っているのもそういう貴重な扱いがそうさせたのかもしれない。
 この時期になると周囲の広葉樹が落葉して木立の中まで朝日が差し込むようになる。小学校の理科の時間に太陽は平行光だと習ったときに、こうしたどう見ても放射光にしか見えない景色はどう説明されるでしょう?という質問に、たしか、距離が十分に遠いから証明できるほどには平行にならないのでは?と答えたことを思い出した。5年生だったと思うが、今から思うと高度な質問をする先生だった。