2012年12月31日月曜日

めでたいかたち

 ふと立ち寄った本屋で見つけた切り紙が前から気になっていたのを思い出して、正月飾りに。ウチの実家は季節毎の設えも日本人として忘れない程度のものだったのでこうした切り紙には馴染みがなかったのだが、やっぱり自分の家、しかもこんなに自然に囲まれているとどっかしら神という存在が意識されるというか、そういう気持ちの依り代のような場所や設えを整えると気持ちがおさまってくる。地域固有のかたちがあるのだと思うが、今年は岩手の鯛の御幣にしてみた。半紙を四つ折りにして型紙どおりにカッターでしこしこと切り抜けばハイこのとおり。松葉と千両で少し華やかにしてみたら伝声管の赤ともいい具合に馴染んだ。

 あれ?レーザーカットじゃないの?というツッコミはご容赦。そこは手で切るからこそ、こもるものがあるというもので、カッターよりは切り出し、それも肥後守あたりで切るのが作法というものかも知れない。しかし、この型紙も市販のもので、伝承切り紙から作られているものの「電脳編集」と記載されているあたり、型紙そのものはおそらくデジタルデータで作られているはずだ。それを手で切ることで、つまりデジタルだけではなく、手作りのプロセスを経ることではじめて「依り代」としてのなにかが宿ったものが出来上がる。手で作ることの意義や意味は畢竟、この「なにかが宿る」ことに尽きると思う。たとえその過程にテクノロジーが介入しようとも、最終局面に手を尽くして佇まいを整えることが出来れば、それは十分に「手作り」と言えると思う。。と大晦日を迎えてもやっぱりいつもと同じことを思うのであった。


0 件のコメント:

コメントを投稿