2011年12月31日土曜日

リビングの調理器具

 なんといっても静かでたまらなく暖かい薪ストーブ。冬には山に入って楢や桜を切り倒し、春先にはそいつらを玉切り(40センチくらいずつに切り分ける)にして軽トラで山から運び出し、片っ端からひたすら薪割りしてやっと燃料が手に入るというなんともめんどくさい手続きが必要なのだが、それと引き替えにこの心地よさが得られるならそれほど苦労とも思わない(人によります)。むしろチェーンソーのメンテや斧や鉈の仕立てなど道具を使う楽しさがあって、薪つくりはもはや趣味といってもいい。さらに薪ストーブは時として調理器具にも変身、ポンテベッキオのピザも店で食べるよりもきっと美味かったはずだ。さらにおせち料理に欠かせない黒豆も期待以上にキレイに煮上がって年末にも大活躍。

 震災の直後はインフラが落ちてとにかく多くの方々が困っていたのが暖を取る手段だ。ガソリンと同じく灯油も手に入りにくい状態だったし、停電だし、プロパンはあっても電子制御のタイプは停電でアウト。。いろいろと困ったことはあったけども薪ストーブのおかげで震災後のあの寒さをしのげたのは本当に助かった。寒さに震えていた近所の方々にも夜にはうちに来てもらってみんなで火を囲んでいると気持ちも和んでとても心強かった。

 もはや他の暖房器具には戻れない体になってしまったオレ。


2011年12月19日月曜日

復活

20数年前に初めて買ったクロモリMTBのフレームを残しておいて良かった。今や主流のファットなアルミやカーボンのフレームもいかにも最新っぽくてイイのだが、やっぱり細いクロモリフレームの凛とした佇まいはいつまで経っても失われないものだ。ということで、時間を見つけつつ組んだのがこれ。我が家のオーナーご本人は知る由もないが、往年の名パーツをごっそり組み込んである。オリジナルの塗装をはがして新たに真っ白にウレタン塗装したフレームに初期型XTRのRD&ラピッドファイアーシフター、ロー側3枚がチタン製のXTRカセット、いまは亡きSRサンツアーの名作XCプロMDのクランクセットに、WorldClassのBB、ホワイトインダストリーのリアハブと、いっそ自分が乗りたいくらいのパーツ群がさりげなく組み合わされているのだ。今から15〜20年前は第一次MTBブームの時期で折しも冷戦終結後に業態移行を迫られた軍需産業が持ち前のカーボンやチタンの超精密加工技術をひっさげて自転車業界に乗り込んできた時期で、ブレーキやハブを専門に作る多くのサードパーティーで業界は活況を呈していた。そんな当時を懐かしみつつ、必要以上の精度で作られているのが幸いしていまだにガタもなく滑らかに動いてくれるパーツを丹念に磨いたりしていたら、組み上がった途端に初雪で試乗はしばらくおあずけに。ウチの周りの未舗装部を考えるとタイヤがちょっと細いかな?なのですでに1.75サイズを発注済みでこのすっきりした姿は今だけ。ちょっとおもしろいパーツ(?このカエル、目がチカチカ光るのだ!)も見つかって初乗りが今から楽しみ、自分のじゃないけどね。



2011年12月8日木曜日

誰でもできる拭き漆

肝心なことを書くのを忘れていた。我が家は連合設計社市谷建築事務所に設計していただいた。住まい方や仕事場としての使い勝手など空間的な性能の検討は当然ながら、僕、そして設計の中田千彦氏はさらにその空間の「質感」にとても拘りたかった。なかでも床については以前から自邸は拭き漆で、と心に決めていたので最初から全ての平面部分は拭き漆と仕様が決まっていたのだが、さて、では調達はどうするのか?という問題があった。単純に拭き漆として仕上がっている建材を買ってくるとべらぼうな値段になってしまうし、なんといってもどの建材もこってりと漆が塗ってあり、品がないといったらない。なのでそもそも「買う」気なんてさらさら無く、自分でやってしまおうと目論んでいた。ただ、総計150平米もある床を1人で出来るわけでもなし、さりとてボランティアをお願いするにしても作業にともなって漆にかぶれたらマズイな、と思案していたところに社長の鶴の一声「では所員がお手伝いします!」ということで、所員さんも「是非に」とお申し出頂いて皆さんでやっちまおう!ということになった。

万全のかぶれ対策をしたところ、まあなんとも物々しい佇まいだこと、お互い笑ってしまったが、今なら(作業は今から2年前)あんまり笑えない姿だ。結構な匂い(漆は生だとかなりクサい)をまき散らしながら白装束で黙々と作業を繰り返す姿はかなり怪しい雰囲気。下地1日、漆2日間で床材150本なんとか目標達成。三日間で徐々に皆さんの段取りも良くなってきて予想外にスムーズに進んで、しかもかぶれも無くひと安心でした。しかし、折角の三連休をつぶして汚れ作業に来て頂ける、しかも東京から、普段から設計のお仕事をされているとはいれ、直接現場作業をすることは希だろうし、勝手も分からない、しかもかぶれるかもしれない恐怖をおして来て頂いた皆様にはほんとうに感謝の言葉もなかった。逆に「貴重な機会を与えて頂いてありがとうございます」なんて言われると体が縮んでしまうほど恐縮したのでした。
拭き漆は木に漆を擦り込んでいく作業の繰り返しで、普通の塗装や染料と違って徐々に木肌に馴染んでいく感覚にみなさんお気づきだったようでした。

今回は費用の関係でやむなく中国産漆を使ったが、おとなり岩手県には漆の産地浄法寺があり、山形でも日本産漆が栽培され収量を増やしつつある。浄法寺の漆は今年のグッドデザイン賞を取ったことだし、いずれは地産地消(もちろん他消でもいい)的に東北の漆を東北の住宅で、というような取り組みにつなげて行けないものだろうか、などと考えてみる。なにせ、この循環型社会を目指すご時世に、漆ほど適った素材もないのだから。

黙っていればそれとは分からないほどに現代の建築に馴染んだ漆の床は、手触り、足触りがすべすべと良く、なんといっても漆の天然の抗菌作用のおかげで年中清潔で快適で、そうだ、これはもっと広くみなさんに知ってもらおうということで、機会がある毎にお見せして説明してきたのだが、ついに東京のある保育園の床を拭き漆で仕上げることになった。園長先生も設計者もとても気に入って下さり、子供のためにとボランティアを申して出てくれる方もでてきて、いよいよ来週から東京某所でワークショップ形式でみなさんで作業と相成りました。拭き漆の体験をしてみたい方は是非ご連絡下さい。


2011年12月5日月曜日

漆の実でコーヒーブレイク

 先日、山形に漆の実を取りに行ってきた。漆の実は主に馬の飼い葉に入れて強壮剤として使われてきた。他にも昭和30年代頃までは蝋燭や鬢付け油にも使われていたという。もちろん今やほとんど生活に関係するものとしては使われなくなったが、なんでも種の部分でコーヒーが飲めるというので、日本漆総合研究会の蜂谷哲平さんのご案内で山に入ってきた。
県庁で待ち合わせの後すぐそこに見えている山まで車で約15分、さすが山形というだけあって山に囲まれた典型的な盆地であっという間に現場の里山に到着。この市街から里山まであっという間、という感覚はとても京都人にとっては自然な感覚だ。
漆の実は成るものと成らないものがあり、それが男木・女木に依るというわけでもないらしく、さらに今年は成っても来年は成らない、など、なんとも神秘的?なものらしい。高枝ばさみでちょきちょき、あるいはよじ登ってポキポキ枝ごと取ってとって2時間ほどで広げたブルーシートがいっぱいになった。このあと専用?の洗濯板のような道具で実の件の蝋の部分をごりごりと削り落として種だけをより分ける。その後手鍋で煎ってミルで挽いたらあとはまさにコーヒー然とパーコレーターやドリップで淹れる。味はう〜む、なんとも雑味全開というかエグ味というか、かなり独特ではあるものの、香りは十分に芳醇で香ばしく、アウトドアということも手伝ってなかなかの風情でした。煎り方や淹れ方の工夫でもっと美味しくなる余地はあるそうで、産地では喫茶店で季節限定で飲めるところもあるらしい。あ、漆の実のコーヒーといってもこれを飲んでもかぶれませんのであしからず。







2011年11月19日土曜日

紅葉

思い切って立派なコナラを切り倒したおかげで日当たりが良くなったせいか、今年はもみじが見事に色づいた。しばらく暖かかったこともあってか、今年は紅葉が長く楽しめた。。と思って一週間ばかりの出張から戻ってみたらすっかり枯れ落ちてもはや冬の気配。













2011年11月2日水曜日

架橋


遊びにきていただく皆様からはいいところですね、と言われるのだが、実際に暮らしているととにかく川沿いの湿気が気になる。おまけに手が入っていない雑木林だらけなので、広葉樹がわっさわっさとのび放題でさらに日当たりが悪くていずれ伐るかと思っていた川縁のコナラを思い切って伐採した。樹高約20メートルもあったのでドド〜ンと向こう岸まで橋が架かる格好に。おかげで南の空が随分と開けて日の光がサンサンと注ぐようになって、紅葉もうれしそう。
川と言っても脛あたりまでの深さなので橋なんか無くても長靴を履けば対岸なんてすぐなのだが、「架橋」されるということには独特の感慨がある。「をを〜!」みたいな。同僚のK原さんとも共感。これぞ土木工事の醍醐味か、というのは大げさながら、なんだろうこの感慨。さておき、簡単に対岸に行けるようになったのでさっそく焚き付け用の柴刈りに。ポキポキと小気味よく手折ってあっという間にひと山できあがり。。ん?待てよ、簡単に行けるってことは来れるってことだな。。あれ?熊とかも渡ってくるのか。。
まあええわ、気持ちの良い朝のお茶にしよう。


2011年10月31日月曜日

芋煮というより朴葉焼き

ここ東北では秋になると老若男女こぞって「芋煮」なる鍋料理をなぜか川縁で催すのが恒例である。地域によってコンテンツと味付けが違うようだ。宮城は豚肉x味噌、山形は牛肉x醤油というようにおなじ芋煮といえども、味わってみれば全くの別物というものなのだが、「秋に」「仲間で」「里芋入れて」「川縁で」は共通項でこれらを満たしていれば芋煮しよう!という呼びかけが成立する。川縁で、ということならば清川でやらずにおくものか、誰よりも上流でやってやる、ということでみなさんといろいろ持ち寄ってワイワイ。近所で拾ってきた朴葉で朴葉焼きをやってみたところこれが絶品!紙鍋と原理は同じようだが、こちらは味噌の香りがしみこんで旨いことうまいこと。ちょっと焦げた味噌がまた熱燗にぴったりで。。
準備に先立って、川縁の南からの日当たりを遮っていた大きなコナラの木を2本ばかり思い切って伐採したところ、ピロティがちょうど日当たりが良くなってポカポカの清川でした。

2011年10月22日土曜日

。。。と、僕も学生の頃言われたので今みなさんにお伝えしておきます。

学生の頃は大学で、というよりはバイト先の建築模型工房やアーティストのアシスタントなどの現場で学ぶことが余程多かった。そこで怒られドヤされ諭されてだんだんと仕事ができるようになってきた。気がつけばそんな風に気づかせてくれる人は居なくなり、当たり前のことながらいつのまにか逆の立場になっている、と、学生と過ごしていると思う。学生に対して話す時にいちいち「そうや、あのときあの人にこんな風に言われたなぁ」と思い出してしまう。理由があることも無いことも、とにかく言われるようにやれ、ということにはやっぱり後になってから意味が分かってくるということはあって、そういうことを諭す際には「そう教わったのだから仕方がない」というやや無責任な態度が実は効果的だったりする。伝聞の語法にはそれなりにチカラがあるのだ。そんな会話があった日には備忘にツイートしているのだが、今日はまとめて以下再録。みなさんも心当たりありませんか?

☆実際に制作している時間よりも、制作環境の整備や準備、清掃、整頓などに費やしている時間の方が圧倒的に長いことをわかってらっしゃらない学生さんが多い。また、その質が作品の品質に直結していることもお分かりでない。。。と、僕も学生の頃言われたので今みなさんにお伝えしておきます。

☆「今しかできないこ」を「今、自分がやりたいこと」と混同する学生さんが多い。「今やるべきことかどうかわからないけど、とにかくやれ」と言われてやったことが、後からジワリと利いてくるのです。。。と僕も学生の頃言われたので今みなさんにお伝えしておきます。

☆「見えないところの隅々まで気配りが行き届いて丁寧に仕上げてある」ことの見えない威力の凄さっていうものがあるんです。。。と僕も学生の頃(作品を買ってくれた故)灰谷健次郎さんから言われたので今みなさんにお伝えしておきます。

☆モノを作る仕事をする上で最もイケないことは制作中に怪我をすること。程度の軽重に関わらずその後の仕事にムラができる、共同作業の時は全体のパフォーマ ンスを下げてしまう、から。なにより人を不安にさせてしまうから。。。と僕も学生の頃言われたので今みなさんにお伝えしておきます。

☆「先生」は「先ず生きている」だけの存在です、「今」を語るあなた方にとっては恐るるに足らず。しかし先に生きてるだけに落とし穴のありかをたくさん知っているので未来を語るときには敬いなさい。。。。と僕も学生の頃言われたので今みなさんにお伝えしておきます。

☆ペラりとしたイラレのデータが実物の手触りのある手ぬぐいになる、この物質感たるや!この実存感を先回りして想定しその終着点に向かって遡及的にデザインを積み上げていく、にはとにかく経験が必要なのです。。。と僕も学生の頃アナログ世代にこっぴどく言われたので今みなさんにお伝えしておきます。

☆どうしたら作業がうまく進むかを考えることはともて重要だが、どうしたら失敗するかをそれ以上に吟味することに時間や経験を費やすことは、もの作りにとっては批評的かつ知性的で、それゆえ極めて創造的である。。。と僕も学生の頃言われたので今みなさんにお伝えしておきます。

☆今日もまたもの作りの正しい教え方をしていない現場を目撃して残念。もの作りは「マナー」なのです。躾として正しいマナーを身につけないと決していいものは作れません。。。と僕も学生の頃言われたので今みなさんにお伝えしておきます。

☆アカデミックな環境でフィジカルなもの作りを学生に体験させることはとても大切だとは思うが、やはり本職の現場で時間をかけてじっくりと「見て」「盗ん で」身につける経験とは本質的になにか違う感じがする。素人と玄人のシリアスさの乗り越えがたい壁がそこにはある。これは体験ベースの確かな感覚。だからダメということではなく、そこを入り口としてもの創り(「作り」ではなく)の深淵を知る契機になればいいのだが、DIY的楽しさで満足してるようでは「もの創り」とは言えない。。。と僕も学生のころ言われたので今みなさんにお伝えしておきます。

2011年10月17日月曜日

秋・悲喜こもごも

葉擦れの音が乾いてきたな、と思ったらどんどんと紅葉が進んできた。「桐一葉 日当たりながら 落ちにけり(高浜虚子)」まさにそんな風情ではらはらと落ち葉も進む。日中の清々しさといったら、何を賭しても代え難い快感で開け放した窓からは藁焼きの焦げた甘い香りが漂ってきて、なんとも抜群の昼寝日和。。。といううららかな午後を打ち砕くかのようなカメムシの大群。異常発生のニュースも聞かないが、昼前からかさこそと飛び回り始め、日当たりのいいバルコニー(つまりもっとも居心地の良い場所)一面がカメムシで占拠されてしまった。一斗缶で枯れ草燃やして燻してみたり、木酢液を撒いてみたり、レモンやいろんなハーブを試してみるものの、ヤツらはかなり鈍感でこうした天然由来のものを忌避する様子もなく平気な顔。夕方にはどこかへ帰って?ゆくのだが、いちばん気持ちのいい時簡帯を楽しめないこの歯がゆさよ。俳句や短歌にはいろんな秋の虫が登場するが、秋の景色としておそらく大昔からいるに違いないのだから、ちょっとくらいカメムシを詠み込んだキレイな歌があってもよさそう(ちなみにカメムシは秋の季語)なのに、ほとんど見あたらないのは今も昔も嫌われ者なのか。いやはや。。。網戸が虫かごみたいになってる様子はおぞましくて写真ではお見せできませんのでご想像のままに。はあ。。

2011年9月28日水曜日

サッカーとか自転車とか漆とか

僕はサッカーも自転車も、世間が騒がしくなるずっと前からやっていた。
サッカーは小学校3年生で始めた。野球のどうもあの官僚的な雰囲気に馴染めず自由を謳歌できそうなサッカーに自然に惹かれたのだと思う。当時はまだJリーグなんてもちろん影も形もなく、日本リーグで釜本の日本人としては規格外の活躍が窮屈に見えるくらいの地味なイメージのパッとしない世界だったように思う。いまや日本代表はワールドカップの常連となり、プロ野球とも人気を二分するほどに国民的スポーツとして定着した感があって、隔世の感ありだ。

自転車に興味を持ち始めたのは大学に入ったころか。マウンテンバイクなるものが存在し、なんとフロントサスペンション(ロックショックスとかいう、もう岩なんてへっちゃらな感じ)が装備され変速は指一本で電光石火のごとくパシパシ決まる(ラピッドファイヤーとかいう!変速したら火花でも出そう)そのメカメカしさに惹かれてあっという間に虜になった。当時はまだエコなんてことはだれも意に介さないバブル全盛時代、昔からのサイクリストはしっかりとした趣味の世界を作り上げていたが今のようにネコも杓子も自転車!なんて雰囲気ではなく、かなり渋い世界だったように思う。いまやエコを追い風に書店には自転車関係誌がズラリと並び、街には自転車店が林立し、サイクリストへの社会的な理解が深まったことはとても良いことだと思う一方、へっぴり腰のピスト乗りが跋扈し、歩道をカーボンロードが疾走していくという、機運の高まりの速さに交通マナーや環境が追いついていないゆがんだブームになっていることはやや残念ではある。

いずれもどこかしらマイナーな匂いがするからこそ、満たされない思いというものがあり、そこを埋めることに工夫する余地があることが僕を惹きつけていたように思う。今ほどサッカーシューズが豊富に無かったので足裏の感覚がしっくり来るようにスタッドの高さを自分で削ったりしてその効果を確かめることに、プレーそのものよりも熱くなったものだ。自転車の部品を軽量化すべくドリルチューン(強度に問題が無い範囲で穴を開けて軽量化すること)しまくっていた。いまや自転車のパーツは「超」精密機械となり、ユーザーの手出し出来る部分はほとんど無くなっている。なんでもかんでもメーカーもしくはプロショップでのメンテ推奨だ。専用特殊工具がないと何も出来ないというパーツも多い。ブラックボックス化しているのだ。

要するに僕の気分を支えてきたものは、体の運動ももちろんそうだが、むしろ「装備を工夫して手を掛けること」だったわけだ。人気が高まれば高まるほどメーカーは多様な商品を開発しどんどん便利に快適になり消費者は恩恵を受けるように見えるが、僕にとっては退屈になってゆくばかりなのだ。こうしたことは僕だけが感じていることではなく、クラシックカーやクラシックバイクのレストアに血道を上げる方々は皆一様に同じ思いなのだと思う。

僕が出会ってとにかくずっとこれまで付き合ってこられている漆にも、どこかそうした「おもしろいけど、とてもマイナー」かつ「工夫のしどころたくさん」という存在なのかもしれない。前者にはなんだかいいところを独り占めできてる優越感が、後者にはいろんな可能性がありそうな万能感が感じられて、二重の魅力がある。漆のことは本当の意味で良く知られていないので、もっともっと理解が進めばいいし、携わる人がもっと増えて欲しいと思う、なによりそうでないと産業として先行きが本当に先細りなのだが、一方で、僕にとってほどよくマイナーで、だからこそ魅力的な存在であってほしい、とわがままなことを思うのでした。

(写真はロンドン郊外で見かけたペニー・ファージングのイカしたおじさん)

2011年9月25日日曜日

藤川勇造と乾漆

近代日本を代表する彫刻家、藤川勇造は高松の伝統工芸である香川漆器の祖、玉楮象谷の孫にあたり、東京美術学校(現、東京藝術大学)で彫刻を学ぶ以前には高松の名門藤川家で漆芸の技法について一通り習得を終えていた。美術学校へ入学したあとも彫刻の勉強の傍ら漆芸にもいそしみ、漆硯箱を作って当時の漆工コンペで銀賞を獲得するなど、高度な漆芸を身につけていた。卒業後、画家の安井曾太郎とともにパリへ渡り、オーギュスト・ロダンの最後の弟子として西洋彫刻を学んだ。ロダンは「日本には乾漆塑像のような優れた彫刻があるのに、なぜ西洋彫刻を学ばねばならないのか」と疑問を投げかけていたという。藤川は渡仏中にロダンから受けた唯一の賞賛は乾漆製のうさぎの作品であったと回想している。その作品を見たロダンは「彫刻の内部から膨らむようなやわらかい表現は日本人の感性によって生み出すことができる」と賛美したという。

乾漆とは麻布などを漆でかためて造形を行う技法である。現代では造形手法上、もっとも近い概念の素材はFRPである。FRPが合成繊維を合成樹脂で固めるのに対して、乾漆は天然繊維を天然樹脂たる漆で固めるという点において乾漆はFRPに先立つことはるか千年以上も前に確立された造形技法である。現代生活においてはごく一部の漆芸製品においてのみ細々と継承されているに過ぎなく、一般的な知識・理解は皆無と言って良い。数年前に話題になった国宝興福寺阿修羅像は奈良時代を代表する乾漆仏の傑作で、当時でも貴重とされた漆を使って彫刻がつくられており、日本の彫刻技術の根源的な礎のひとつであることは間違いない。ロダンが乾漆仏についてどれほどの知識を持ち合わせていたかは定かではないが、日本の優れた彫刻が乾漆であるということ、また逆に乾漆であることで日本の彫刻の個性が発露した、と考えていたとすれば慧眼というほかない。

乾漆は粘土や石膏で型をつくり、その表面に麻布を漆で積層して形態を生成し、最終的には型をはずす、あるいは抜き取るため、造形自体が空洞に近い造形になることが多い。ロダンの言う「内部から膨らむような」というのはまさに言い得て妙な表現であり、乾漆の本質をうまくあらわしていると思う。また、内部から膨らむような構造の場合自身を支えるだけでなく「構造」としての強度が高く積層の構成によってはFRPに比肩する可能性もあり、一部の建築構造家などが注目しているなど、現代にも十分蘇る可能性のある素材・技法なのです。

来る10月1日から京都市立芸術大学のギャラリー@kcuaで開催される文化庁メディア芸術祭京都展《パラレルワールド》関連企画《共創のかたち〜デジタルファブリケーション時代の創造力》には、乾漆で制作された椅子の実作が展示されます。乾漆のみで人体を支えることを実証する試みです。お近くの方は是非ご覧になって、乾漆を体験してみて下さい。ロダンの気持ちが分かるかも?
写真は拙作:「捨てられないかたち」

2011年9月23日金曜日

秋の収穫

台風一過ですっかり快晴の朝、そうとう風に揺さぶられたようであちこちに木の枝が落ちている。中には梢というよりはごっつい枝ごと2メートルあまりもぼっきりと折れたのもあって敷地はやや騒然とした様子。運良くそのまま地面に落ちたようだけど、運悪く屋根を直撃していたら‥と思うと、高いところの枝はそれなりに剪定したいところ、とはいえ10-15mもあると簡単にはいかず悩ましいところ。ともあれ、こうして自然の力で「剪定」されていくおかげで薪ストーブの焚きつけに使ういわゆる「柴」には困らない。おじいさんは柴刈りに〜の柴。5月に切り倒したコナラの枝も野ざらしにしていたが、これも良い具合にカラカラに乾いていて、まとめて焚きつけを作った。「作った」というと大げさ、ポキポキと折るだけ。これが焚きつけには最高なのです。子供の頃はよく分かってなかったけど、おじいさんはこれを拾いに行っていたのです。
枝と一緒にクリ拾い。こちらもちょうど台風でバサバサと落ちたところのようで、敷地を一回りしただけでこんなに。をを、今夜はクリご飯か!クリは拾うタイミングがあって、地面に落ちて1-2日も経つと湿気を吸ってしまうのでできるだけ落ちたところを拾うのが良いようだ。去年は少し日数が経ったものしか拾えなくてあまり具合が良くなかったので、今年はいいタイミングで見つけられてラッキーだった。
拾ったものだけで暖が取れ、季節の風味が楽しめる、そんな季節がやってきました。

2011年8月26日金曜日

日本と中国における、もの派のプレゼンスについて考えてみた

恩師でもある彫刻家の小清水漸氏から来春アメリカでもの派の展覧会が開催されると聞いた。それに先立ち中国では数年前からもの派の評価が高まっていると聞く。先日の投稿でもの派について触れたあとで、ちょっと考えてみた。

 もの派の作品群を鑑賞するときに常に頭に浮かぶのは「環境」「表面」「配置」という言葉だ。
関根伸夫の「位相ー大地」ではまさに美術館や画廊ではない環境で、連続的に存在する大地の表面を掘り返し、同じボリュームで新たに配置しなおす、という構造になっている。ほかの作家の作品にもそれぞれのバランスと効果の多寡を異にしながらも、これらの要素を見出すことができるだろう。

知覚心理学者のジェームス・J・ギブソン(James Jerome Gibson 1904-1979)は生態幾何学[i]的に、環境を「サーフェスー表面」のレイアウトという単位で表現できると考えた。ものや空間の「切れ目」のあるユニットによって環境を捉えるのではなく、「サーフェス」のレイアウトで捉えることにより、環境には区切れがなくなると考えた。そして「サーフェス」のレイアウトのあり方と、その種々のレベルで起こる変化が我々に知覚を与えているという。つまり、「サーフェス」としての中身を伴ったものがいつ、どこで、どのように配置(レイアウト)されるかで刺激される知覚が変化するという考え方である。

「表面」はそのものの中身と、それを取り巻く環境との境界・界面といえる。そして表面には常に肌理がつきまとう。表面の変化はつまり肌理の変化であり、我々の知覚もこの肌理の変化によって喚起される。もの派の一連の作品においては、ある素材をほかの素材表面で覆ってしまうような表現がある一方で、同じ素材の表面の様相が連続的に変化している表現も見受けられるが、これらはいずれも表面・肌理の様相の在り方を、一般的秩序から逸脱した状態で提示している。

この「一般的秩序からの逸脱」はアートの原理的手法であるが、ここで喚起される知覚とはいったいどのようなものだろうか。既存の心理学的概念には「手続き型知識」という考え方がある。例えば、自転車に乗ることはできても、乗り方は言葉ではうまく説明できない、というようなことだ。同じことは芸術体験にも当てはめることができるだろう。ある作品が示唆するなにかを知覚したが、そのプロセスはうまく言葉では説明できない、しかし、確かに日常的なレベルとは異なるレベルで知覚したなにかを感じている、ということは多くが経験していることである。しかし、そうした個人の知覚レベルを超越した社会的意識の深層に作品の意味があるように思われる。

高度経済成長を背景として「大量生産」や「均質化する風景」、「土着文化の希薄化」とともに配置されたもの派という「表面」が、当時の急速に価値観が変化する環境において、一定の文化的抑止力として働いたことは、「効果」としては評価できるだろう。同じことが、現在急速に経済的発展をとげる中国においても適応できそうである。しかしながら、当時日本でもの派の活動が社会に与えた「意味」と、現在の中国で提示されるもの派の芸術的訴求力の喚起する「意味」には大きな違いがあるのではないだろうか。

奇跡的な戦後の復興による高度経済成長の中で、均質化する風景や急速に失われていく土着の文化に対する抑止力として効果をもった表現は、自らの暴走的な活動に対するいわば内省的態度の表れと言える。さまざまな外的要因に影響を受けながらも日本人が急速に日本を改造し、その性急さに日本人自らが警告を発したことに、もの派の意味の一つがあった。一方、中国では外資系画廊の経営戦略で肥大化した美術市場で本来美術がはたすべき役割が軽視され、経済的成功がより重要視される状況にある。2007年に北京で開催された「What is MONO-HA」展は美術の本来の役割を取り戻すために、輸入された批判的な視点として意味が見出されたようである。40年あまりの時間的差異を伴うが、同じもの派の表現が同じような社会環境の中で「配置」された、と言えるが、環境=国と時期が違うことで結果として見出される意味に変化が生じていることが興味深い。素材そのものに向かう意識やその意味を掘り下げようとする活動の、その他の表現との境界・界面をもの派という「表面」とするなら、いつ、どこで、どのように配置されるかで喚起される意味が変わってくるのである。

以上は心理学を背景に発達してきた生態幾何学的な発想をもとに、もの派のプレゼンスを日本と中国について考察してみたものであるが、彫刻を背景にしたもの派の作品も従来のユークリッド幾何学が示す世界観とは明らかに違う様相を提示しようとしており、出自を異にしながらも、特に表面の取り扱いに対するアプローチに対称性を見出せることが興味深い。さて、ポスト「超」成熟社会アメリカでは、もの派はどのように「配置」されるのだろうか、いまから楽しみだ。


[i] 生態幾何学(ecological geometry
ジェームス・J・ギブソンが『視知覚への生態学的アプローチ』でその可能性を提示した、動物の行為と相補的な環境の幾何学である。ユークリッド幾何学のような伝統的・抽象幾何学では点と線と平面で理解を構築している。それらの幾何学では、平面には表と裏の両面があり、線には幅がなく、点は場所・面積を持たず座標系を前提にした理論上の抽象的位置でしかない。だが、動物にとっての環境はそのような抽象的単位では構成されていない。伝統的な幾何学が平面と平面の境界を「線」とよぶのに対して、「サーフェス」と「サーフェス」との境界を「線/へり/エッジ」(edge)と定義する。生態幾何学とはサーフェスとエッジと媒質を単位とする幾何学である。(後藤武、佐々木正人、深沢直人『デザインの生態学』東京書籍、200442頁)

2011年8月23日火曜日

ほんとにほんと

八月ですよ、まだ。セミもじゃんじゃん鳴いてるし、カブトムシは飛んでくるし。でも最高気温22度って、たしかに毎晩大きな窓を鱗粉だらけにしてくれるでっかい蛾(オオミズアオ、我が家ではその優雅な佇まいから神様とよばれている?!http://tinyurl.com/3bup73e)もいないし夜だと20度は下回ってるし肌寒いけど、まさかストーブを焚くとは!いやほんと火でも熾さないと肌寒くて。全国的に特異日だったとはいえまさかのストーブ、でも実は嬉しいのです。常にリビングにデ〜んと構えているくせに夏は全くの無用の長物で、というよりも役割を取り上げられた寂しさが漂っていて、やっぱりストーブには火が入っているほうが空間がいきいきとするのです。とはいえ、つけたらつけたでこれまた暑くて窓を開ける始末、まったく微調整というものが利かないので合いの季節にはこうした「コタツでアイス」のような贅沢感というかムダ感というか、まあでも洗濯物がパリッと乾いて気持ちいいという福次効果は川沿いで湿気とカビとの戦いのこの立地ではとても嬉しいのでした。
とにかく、少しずつ秋の気配がそこかしこに感じられるようになってきました。

2011年8月14日日曜日

なんも暑ないで(イントネーションは関西弁で)

猛暑・酷暑のニュースを聞かない日はないが、ここ仙台の山端は最高気温でも30度を越えるかどうか、朝晩はひんやり、もちろんエアコンのお世話になることはない(ウチにはそもそも無いし)。地元の方は暑いとおっしゃるが、故郷京都のうだるような暑さが身に染みついている身体にとってはほんとに過ごしやすく心地よい夏だ。
車で数分も行くと蓮や水芭蕉の群生地やひっそりと、でも結構豪快な滝など、避暑には最高な場所だったりして、このあたりの避暑地パフォーマンスは結構高いと思う。先日も出入りの業者(山形出身)が、酷く暑くもなく雪害もない仙台が気候的にはいちばんいいと言っていたことも頷ける。確かに一般的な現代の郊外型の生活に比べればスーパーは遠いし、ゴミ出しは車で数分だし、水は井戸水ポンプが不調で時々断水するしで、色々と労を伴うとはいえ、死ぬほど不便かといえば、震災の時には水には困らなかったし(なんせ目の前が川、他所に給水さえできた)、薪ストーブだから暖も取れた(近所のおっちゃんたちがウチに毎晩集まって宴会してた@震災直後)し、田んぼや畑をやってるご近所からは食料が手に入ったしで、なにも非常時だけに限ったことではないけども、実はとても安定した暮らしなのだ。さらに近所にこうした散歩スポットもあるしで、なんも言うことないで、全く。
今日も暑かったけど少し空気も乾いてきてちょっと秋の空の気配も。お盆だけど。

2011年7月31日日曜日

頂き物とお裾分けで十分

夏野菜万盛りだ。キュウリ、茄子、ゴーヤ、モロヘイヤ、トマトにミニトマト、ツルムラサキ‥毎年この時期になるとご近所から大量の野菜を頂く。去年は単身だったこともあり男やもめを気遣ってくれたのか、ご近所のおばさまたちが代わる代わる「収穫物」を届けてくれた。自分の菜園で獲れたものだったり到来物だったりするのだが、これがとても嬉しい。お向かいさんは週末しか来ないのでキュウリで良かったら大きくなりすぎる前に勝手にもぎ取ってどうぞ、だなんて言ってくる。お返しに、と出張帰りにおみやげなんかを持っていこうものならさらに倍返しなのでは?というくらいに野菜を頂く。品種によってそれぞれ収穫の時期というものがあるので、もらうときはキュウリばっかりもらう羽目になるものの、酢の物にしたり、浅漬けにしたり、と夏の食卓が賑やかになってほんとに幸せだ。後日「いかがでした?」と聞かれることもあるし、さっさと食べないとせっかくの鮮度も台無しなのでせっせと料理に使うのだが、限界もあって食べきれないという嬉しい悲鳴まで上げる始末。今日はT翁のご自宅の改修の相談にでかけたところ大量の茄子(写真後方に写っている量の3倍はある)を頂いた。おまけに今朝漬けたばっかりの茄子の漬け物とその場で獲れたアイコ(ミニトマト)まで。先日はウチの裏庭にオオバを見つけたりと、ほんとにここ最近野菜を買ってない。

閑話休題。
究極的な個人主義とそれを支える資本主義経済が行き渡り、あらゆるものがサービスとして提供され都市で一人で生活できる環境が整った結果というかなれの果てというか、65歳以上の者のいる世帯のうちの単独世帯、つまりいわゆる独居老人世帯がなんと410万世帯、じつに全世帯数の22.4%にのぼる(厚生労働省平成18年国民生活基礎調査の概況)。要因は他にもあると思うが、要するに一人で買い物に行きあれこれ買ってもちろん野菜も買って一人で帰って一人で食事を作り一人で‥ということで生きてゆける現代は一面ではとても自由で豊かな状態と言えるが、一方で他者との交流という意味では絶望的に貧しいと言わざるを得ない。内田樹が「贈与と返礼のサイクルが順調に機能している限り、僕たちは人間的な生活を送ることができる。」と言うように、本当の意味での豊かな暮らしは、貨幣による品物やサービスの交換の上にではなく、無償の贈与とそれに対する返礼というかたちのコミュニケーションなしでは成り立たないのだと思う。そうしたことがご近所さんとのお付き合いの中で実感として感じられること、そのことそのものがほんとうに幸せなことだと思う。

まあ、それに伴っておじいさんのお茶のみ話のお相手をしたり労働奉仕をしたりと、休日が半分台無しになったりすることもあるにはあるのだけれど、写真の野菜が全部頂き物だと思うとやっぱりエエとこに暮らしてるなぁと感謝なのです。

2011年7月24日日曜日

漆の話

一般に「乾く」とは言うが、漆の場合厳密には主成分であるウルシオールが酸化重合反応を繰り返すことによって硬化する際に一定の温度と湿度が必要になる(つま り化学反応なのです)。特に湿度はおよそ70%以上ないと反応が進まないので固まらない=乾かないということになる。なので、乾燥しがちな冬場はせっせと加湿しないとうまく乾かない。ところが皮肉なことに、鮮やかな発色を求めると、少し低めの湿度でゆっくり乾かす必要があるだが、これがなかなか悩ましい。

上塗りは全行程の終盤、つまり搬入とか締め切りとかがチラついてきて焦り始める時期にやってくる。綺麗な発色にしたいからゆっくり(4-5日かけて)乾かしたいところだが、日が足りない‥というジレンマに陥るのだ。

でもよっぽど慌てて乾かしたりしない限り、実は乾いた直後の色目はあんまり問題ではない。というのも、色漆の発色は乾燥直後がもっとも彩度が低くて、時間とともに徐々に本来の発色にもどってゆく。この「もどり」の変化の度合いが最初の1-2週間が激しくて、その後何年もかけてだんだん鮮やかになってくる。骨董の朱漆の器がびっくりするほど鮮やかなことがある。まあ、「透けてくる」なんて言い方もするが漆そのものの透明度が上がっていくのである、年月とともに。一方、鉱物系の顔料はほとんど退色しないのでどんどん鮮やかになってくるという仕組み。なので漆器は長く持っているとだんだん「イイ感じ」になっていく、という意外と知られていない事実。10年前の自分の作品もびっくりするくらい鮮やかな色になっていて驚くことがある。

工芸の仕事は漆に限らず、素材との正面からの付き合いなのだとつくづく思う。温度や湿度、つまり天気を気にかけながら、一日の段取りを考え、昨日の結果を評価して、明日の仕事を準備する。まさにCraft=Lifeだなと。

2011年7月14日木曜日

すこしの事にも先達はあらまほしき事なり

写真は先日のブログのT翁が作ってくれた箒だ。一緒に山に入った際に山道を軽トラを運転していたと思ったら突然停まり、おもむろに藪に分け入って鉈でなにやらバッサバッサと刈りだした。「なんですか?」と聞くとまあだまって見ておれと、ひと抱えほども刈り取るとそのまま家まで種明かしをしてくれなかった。家に着くと手際よくひとまとまりの綺麗なかたちに整えるとあたりを掃きだした。「ほら箒だ。これがいちばんいいんだよ、しなやかさでは他の何もこれにはかなわないよ」というから試しに手に取ってみるとほんとに優しいしなやかさで、でも十分にコシのあるなんとも気持ちのいい感触なのだ。気持ちよさだけでなく機能も抜群。ウチは建物まわりが砕石敷きで、その上に落ち葉や薪をチェーンソーで切った木くずが乗っかるので、掃除が結構大変なのだ。普通の箒だと砕石まで掃いてしまうし、熊手でもあまりうまくいかない。ところがこれで掃くと砕石はほとんど動かずに落ち葉やおが屑「だけ」が掃かれてゆくのだ。掃くだけで自動的に砕石以外の軽いものだけを掃き分けてくれるのだ。しかもこれがなんとも「美しい」のだ。佇まいというかそのまわりの柔らかい空気感というか。こうした土着の民具の造形美のようなものにはこれまでにも多くの文化人類学者や芸術家の慧眼が注がれてきたが、まさにこういう景色の総体として日本の美しい風景が作られてきたのだと感じた。このあたりはもの派の活動にも深く根ざしているであろうことを、今さらながら実感した。
T翁は「ほうきしば」と呼んでいたが、当然俗称で本当の名前は知らないらしい。「ほうきしば」でも「箒柴」でも検索にかからないからきっと極めてローカルな呼び名なのだ。刈りだした現場で一緒に見ていたのだが他にも似たような柴はあって、「これもですか?」と聞いてみたものは悉く違っていたので見分ける術をもう一度しっかりと教わらなくては。
師と仰ぐ人の前では謙虚になり、また、ある種の安堵感を覚えることがある、というのは多くの人にとって経験のあることだと思う。自分の知らないことをたくさん知っているというその事実に自然と心は啓かれ、「先達」という言葉の意味が体の緊張をほぐしてくれるのかもしれない。「ああ、ついていけばいいねの」と。心身共に心地のいい時間でした。

2011年6月26日日曜日

梅雨とベアリングとシシリーの青い空

ついに梅雨の季節がやってきた。久しぶりのフルの休日で草刈りや薪の整理やもろもろ庭仕事をやるぞ、と意気込んでいたのに朝から降りっぱなし。なので今日はあきらめて最近多忙ですっかりご無沙汰の自転車のオーバーホールを。雨が多くて乗車率が下がる梅雨時はサビも発生しやすいし、湿度も高くて汚れもしつこいので、この時期はオーバーホールが必須。

もっともやりがいのあるのがこのベアリング掃除。古いグリスを洗い流して組み直す。めんどくさいけど、閉め具合で回転のスムーズさが決まる微妙な作業が大好き。

最近は分解できないシールドベアリングが多い(特にMTB)けど、やっぱしこれだ。「整備」っぽいし。シールドなんて交換するだけだし、工夫なし。「締め具合」、これって自転車の全てかも。スポークとか。部分によってそれぞれ微妙にちがう「締め具合」があって、まあこれは機械全般に言えるけれど、違いを理解してコントロールしてこそ自分のモノになる感じがする。

先日、建築家の青木淳さんのお話を聞く機会があった。どんなものでも「ジョイント」と「エッジ」にその品質が現れる、という。然り。たとえば扉の蝶番のようなもの。壊れないように頑丈に作られたものはどこかしら野暮ったくなる。できるだけスマートに、それでいてきっちり頑丈に作るということにはコストも技術も必要になってくる。身の回りでもきっちりとしたジョイント、つまり見事に接合や組み付けが行われているものにはそれなりにコストがかかっている。身近なものではやはり最近のApple製品を思い出してしまう。iPhoneにしてもiPadにしても簡単には分解できそうにない(できるけど)ように見える。なにより「ネジ」がないのだから「締め具合」ということとは無縁の組み方がしてある。外観からはその組み方の構造や仕組みがわからないというある種のブラックボックス化と言える。ブラックボックスを作る側には大変な工夫と努力が必要だが、扱う側にはそんな素振りは微塵も見せない、という取り澄ました風情がつきもので、これはこれでその澄ました顔をどうやってこちらに振り向けるか、つまりあの手この手で気分を損ねないようにご機嫌を取りながら攻略してキレイに分解することも、基本的な機械いじりの楽しみではあるが、一方で作る側も扱う側も丸出しのルールで、つまり組み付けている構造が丸見えの仕組みで出来上がっているものとの付き合いもこれまた楽しい。なにより急にそっぽをむかれそうな不安がない。むしろ一緒に相談しながら「こんなもんですよね?」と作った人とその締め具合の感覚を共有しながら作業している安心感がある。

あちこち分解、清掃、組立てて、操作しながら組み付け具合の確認。もちろん「こんなもんだよね?」とカンパニョーロのクラフツマンに相づちを求めつつ、新緑の猛烈な繁茂で映らなくなったCSのジロ・デ・イタリアの中継DVD(同僚のMさんが焼いてくれる。結果をまだ知らないボク)を一ヶ月遅れの生中継よろしく、だらだらと流しながらの作業で気分だけはシシリーの青い空。

2011年6月15日水曜日

薪のこと山のこと


今年はひょんなことから山持ちの村の古老と懇意になり、立派な薪が手に入った。昨年は住まい始めての最初のシーズンで確実な入手ルートを確保ということもあり森林組合から1万円@立米x4ほどで購入したが結局ひと冬過ごしてみて8立米(残りは近所で伐採した木で賄えた)ほど必要なことがわかった。これでは薪代がバカにならない&こんな緑に囲まれているところに暮らしながら薪に代金を支払うことへの抵抗感もあり、なんとかならんものか、と考えていた。

そのT翁は山が大好きな好々爺で、とにかく山に入ることが好きだということだけで盛り上がり、知り合ったその日に早速チェーンソーをぶら下げて二人でご自身の山へ入ってきた。昨秋に伐採した樹齢30−40年ほどの立派なコナラとサクラがたくさん。二人で玉切り(40センチくらいに輪切りにすること)にして軽トラに満載x二往復。5立米ほどが手に入った。他にも3月に国土交通省の河川整備事業に参加して伐採してきたミズヤナギ(あまりカロリーは高くないけど)が4立米ほどあるので、ひとまず来シーズンの燃料は確保できたことに。ちなみに写真の薪置き場で2.5立米だからこの3〜4倍が必要ということ。

里山パスハン(自転車で山々を巡る)が趣味で山に入ることそのものが好きなのだが、その割には木々や草花の知識はまるでダメで、でもここで暮らし始めてからというもの葉から樹種を同定することがだんだん出来るようになってきて、それはそれでとても楽しいというか住人としての資格を得られつつあるような感覚で嬉しい。T翁はもちろんその筋の達人なわけで、山に入るととにかく木々や草花についての話が絶えない。植林の管理の仕方やいい材木の見分け方など現場で教えてもらうことには新鮮な迫力がある。たしかにこれまでは漠然と「ああここは植林地だな」ということの見分け程度はついたが、その「クオリティ」については見分けがつかなかったが、枝振りや樹皮の様子を入念に観察してゆくと確かに手入れが行き届いている林とそうでないところでは木の様子がまるで違うことに気づく。こうした「知恵の伝承」のようなことは昔は当たり前のように意識することなく行われていたのだろう、T翁曰く、ご自身の代で植林の管理を引き継げる若い人が居ないそうで、こうした山の話をする相手(僕)が見つかったことをとても嬉しいとおっしゃって下さっているが、それは後生に伝えるべき事を伝える役割をはたせるというある種の安堵感のようなものに思えた。をを、ということは僕はこの山を守ってゆくことになるのかぁ!?などというのはさすがに無駄な想像でしょう。

ともあれ、薪に適した落葉広葉樹の伐採は植林地を健全に保つために必要な作業で、毎年秋には必ず行われるそうで、ということはこの秋には僕も入山してお手伝いすることに、ということで薪の入手源が確保できたというお話。しかし樹齢が3−40年ともなると割るのにもひと苦労。その顛末はまたの機会に。

2011年6月7日火曜日

Life Fabrication@きよかわ

みなさま初めまして。漆造形・デザイナーの土岐謙次と申します。

私は【漆 x 「…」】というフォーマットで活動しています。「」の中にはアートやデザイン、生活や建築など様々なモノやコトが入ります。その時々で活動のありようは変わってゆきます。それはまるで、漆が食器や家具や建築に使われ、それぞれに多様な一面を見せることによく似ていると思います。様々なジャンルや人や考え方と関わることで漆のこれからの姿を描き出してゆきたい、そしてそれをみなさんと楽しんでゆきたい、そんな想いで活動しています。詳細はこちらからもご覧頂けます。
http://www.kenjitoki.com/

特別にスローライフの信望者ではありませんが、都会の近くよりは緑に寄り添っている方が心地よいということ、仕事柄、町中では騒音や臭いを伴う作品制作のスタジオを構えにくい、ということもあって土地を探していたところ、縁あって望外の風景が手に入り、また縁あって連合設計社にて住宅を設計して頂くことになりました。我が家では床という床はすべて拭き漆(建材表面に漆を擦り込んでゆく)仕上げ、風呂桶はミルキーホワイトの漆塗り、しかしそれは単なる懐古趣味や成金趣味ではなく、現実的なしつらえとして無理なく自然に漆を生活空間に取り込むことをコンセプトにしています。家の様子はこちらから。
http://www.rengou-sekkei.co.jp/service/house/works/pg490.html
http://gallery.me.com/tokij#100296 

絶えることない川のせせらぎのように、絶え間なく発生する薪割りや草刈り、蜂の巣撃退、柴刈り、雪かきなどなど、一年を通じてなんとも忙しい(そう、スローライフは忙しいのです)のですが、こうした営みの一つ一つを工夫しながら(ここが楽しい)向き合っていくことでここでの生活が組み立てられてゆく、そういった想いでLife Fabrication@きよかわ。ここ清川の暮らしをご紹介してまいります。