2014年3月27日木曜日

だれも気にならないのか?

 岐阜大仏を見てきた。詳しい来歴はWikiに譲るが像高13mを越えるスケールは奈良、鎌倉と肩を並べる大きさで、日本三大仏と称する向きもあるらしい。格や歴史ではかなわず、一般的には認められていないそうだが、僕が気になるのはこれが乾漆だということ。木材の柱を拠り所にして竹を編んで概形を作り、粘土で表面を整えた上で、経文を書いた和紙を漆で固めた構造で、その成り立ちから「籠大仏」とも呼ばれている。いずれにしても天平期の正統派ばりの乾漆像だ。40年近くをかけて制作され、完成は1832年というから19世紀だ。不思議なのは、天平期に隆盛を迎えながらも、その後の木造仏の技術発展などによりほとんど作られなくなった乾漆仏が1000年の時を超えてなぜ、そしてなぜ、時の権力と関係のない地方にこの大きさで作られたのか、ということだ。17世紀にはすでに漆は輸入に頼っていたことが最近になって科学的にも確かめられており、つまり、国産漆はすでに需要を賄えていなかったわけで、単純に考えて19世紀にこの大きさの大仏を乾漆で作ろうとは、普通は考えないと思うのだ。どこを調べても大きさや構造やちょっと造形がユニーク、みたいなことは書かれているのだが、そもそも「なぜ漆なのか?」という問いを立てた人がこれまでいなかったのだろうか。そこが一番不思議だ。ともあれ、そのお顔や佇まい、お堂も含めて、京都宇治黄檗山万福寺の末寺ということもあり、全体としては少し大陸的な雰囲気の境内はとても落ち着いた気持のいいお寺でした。普茶料理にありつけなかったのが無念。



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