2013年11月30日土曜日

今年の総括というには少し早いが

 最近「3Dプリンター」や「レーザーカッター」を使うデジタルもの作りが話題だ。こうした機材を市民が自由に使えるような環境を整備した社会包摂型の市民工房、通称ファブラボが世界中に立ち上がり始めている。日本でも鎌倉や渋谷、仙台や大阪などで運営が始まっており、運営者は民間や大学、行政など様々であるが、お互いに情報を共有しあいより良い在り方を探っている。こうしたネットワークは世界にも広がっており、世界中のファブラボから代表者が集まって情報交換と勉強会の合宿のようなイベントが毎年どこかの国で開催されている。9回目を迎える今年の「Fab9」は横浜が会場となり、慶應義塾大学の田中浩也先生が中心になって8月の最終週に開催された。詳細はこちらから→

 Fab9では「Hybrid Craft」と題して講演させて頂いた。39ヶ国から250名あまりのFabLab代表者に向けて漆掻きからデジタルデザイン、そしてその実践までを駆け足でお話した。

 Hybridなどと題してみたものの、そもそもクラフトはハイブリッドな営みなのだ。自然の素材とあの手この手で格闘し、自然現象をなだめすがめつ操作し、なんとかモノに落とし込む、そのために様々な道具や技術を駆使する、つまりハイブリッドでアクロバチックな営みなのだ。だから、クラフトをよく理解している人にとっては、なにをいまさらハイブリッドなどと威張っているの?と問い詰められそうなものなのだが、なぜかこれまで一度もそういう審問に晒されたことがない。さておき、ハイブリッド感が漂っているようではまだまだ、と言われても仕方がないのである。

 最後には「I don't walk away from Craft although I'm really interested in digital fabrication and contemporary technologies.」と結んだ。以前イギリスに居た頃に、ある人からあなたはそういう人ね、といわれた際の表現をそのまま使わせてもらった。デジタルやテクノロジーに興味があっても軸足はクラフトなのです、ということをうまく表現してくれたと思って、英語ではいつもこう言う。

 つまり、デジタルもテクノロジーも素材を取り扱う者にとっては道具なのであり、道具そのものの存在感が際立つようでは、クラフトとしての意義は薄い。コンピューターもレーザーカッターも金槌も鋸も、使いこなしてこそ、つまり、その痕跡のようなものが不用意に残っていてはその道具に「使われている」のであり、その道具でなければ実現できないかたちや佇まいが、その技術の痕跡が高度に透明化されることで立ち上がってこそ、はじめて「使う」ということの意義が確からしくなる。「技術が透明化することで立ち上がる」とは非常に逆説的だが、優れたクラフトの仕事とはそういうものなのだ。その点、僕もまだまだアルゴリズムのデザインをうまく使いこなせていないなと、6月のMaterializing展や今回のFab9を通じて感じた。


 ともあれ、デジタルファブリケーションにとって工芸は豊穣な大地であることは変わりないと思う。と同時に工芸にとってもデジタルファブリケーションは新しい表現のため可能性の沃野であると思う。そういうメッセージが伝えられれば、といつも思う。

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