2013年12月21日土曜日
基本は同じ
2013年11月30日土曜日
今年の総括というには少し早いが
最近「3Dプリンター」や「レーザーカッター」を使うデジタルもの作りが話題だ。こうした機材を市民が自由に使えるような環境を整備した社会包摂型の市民工房、通称ファブラボが世界中に立ち上がり始めている。日本でも鎌倉や渋谷、仙台や大阪などで運営が始まっており、運営者は民間や大学、行政など様々であるが、お互いに情報を共有しあいより良い在り方を探っている。こうしたネットワークは世界にも広がっており、世界中のファブラボから代表者が集まって情報交換と勉強会の合宿のようなイベントが毎年どこかの国で開催されている。9回目を迎える今年の「Fab9」は横浜が会場となり、慶應義塾大学の田中浩也先生が中心になって8月の最終週に開催された。詳細はこちらから→
Fab9では「Hybrid Craft」と題して講演させて頂いた。39ヶ国から250名あまりのFabLab代表者に向けて漆掻きからデジタルデザイン、そしてその実践までを駆け足でお話した。
Hybridなどと題してみたものの、そもそもクラフトはハイブリッドな営みなのだ。自然の素材とあの手この手で格闘し、自然現象をなだめすがめつ操作し、なんとかモノに落とし込む、そのために様々な道具や技術を駆使する、つまりハイブリッドでアクロバチックな営みなのだ。だから、クラフトをよく理解している人にとっては、なにをいまさらハイブリッドなどと威張っているの?と問い詰められそうなものなのだが、なぜかこれまで一度もそういう審問に晒されたことがない。さておき、ハイブリッド感が漂っているようではまだまだ、と言われても仕方がないのである。
最後には「I don't walk away from Craft although I'm really interested in digital fabrication and contemporary technologies.」と結んだ。以前イギリスに居た頃に、ある人からあなたはそういう人ね、といわれた際の表現をそのまま使わせてもらった。デジタルやテクノロジーに興味があっても軸足はクラフトなのです、ということをうまく表現してくれたと思って、英語ではいつもこう言う。
つまり、デジタルもテクノロジーも素材を取り扱う者にとっては道具なのであり、道具そのものの存在感が際立つようでは、クラフトとしての意義は薄い。コンピューターもレーザーカッターも金槌も鋸も、使いこなしてこそ、つまり、その痕跡のようなものが不用意に残っていてはその道具に「使われている」のであり、その道具でなければ実現できないかたちや佇まいが、その技術の痕跡が高度に透明化されることで立ち上がってこそ、はじめて「使う」ということの意義が確からしくなる。「技術が透明化することで立ち上がる」とは非常に逆説的だが、優れたクラフトの仕事とはそういうものなのだ。その点、僕もまだまだアルゴリズムのデザインをうまく使いこなせていないなと、6月のMaterializing展や今回のFab9を通じて感じた。
ともあれ、デジタルファブリケーションにとって工芸は豊穣な大地であることは変わりないと思う。と同時に工芸にとってもデジタルファブリケーションは新しい表現のため可能性の沃野であると思う。そういうメッセージが伝えられれば、といつも思う。
2013年11月22日金曜日
晩秋にして因果を想う
2013年11月9日土曜日
ないものはつくる
ウルシは浅く広く根を張る樹種で、つまり、地上では広く枝葉を広げる木だ。ところが山林では木が密集していて枝葉を広げられずに、つまり、根が広く張らずに上へ上へと細く長く伸びるしかない。本来の生育状況とは違う状態の木は決して本来の性質を保っているとは言いがたく、病気の原因ともいわれている。広間隔(8-10m)でゆったりと植えればノビノビと育ち、樹間の下草刈り(山林ではこれが重労働)もゴルフ場や果樹園で使われる乗用草刈機を使えば楽ちん、漆が採れるようになるまでの数年間は、ワラビなど他の作物栽培も可能、近い将来には山の宝ともいうべき漆が採れる。。。と良いことづくめなのだが、問題は場所の確保。10m間隔で100本植えようとするとそれだけで1haが必要になる。かぶれる心配もあるのであまり人里に近いところは避けたい、と条件を考えていくとなかなか理想的な場所というのは見つからない。
そこで思いついたのが震災によって耕作放棄された沿岸部の土地だ。幸いというか、浸水した地域からは人の営みは離れつつあり、でも賑わいは取り戻したいという地域の方々の複雑な思いにうまく寄り添えるのではいか、ということで地権者の方々に相談してみたところ快諾を得て、いよいよ年内にウルシを植えられることになった。
場所は山間の扇状地で日当たりもよく山からの豊富なミネラルを含んだ水はけの良い土壌で、技術協力してもらっている研究員によればまさに理想的だ。今日はまずは整地、に先だつ立木伐採、に先立つ除草作業。4人がかりで半日で終了。草が枯れるまで二週間ほど待って、次は立木の伐採。整地というほど荒れてないので伐採が済めばおおよその準備完了。別に育てているウルシの苗木が落葉するのを待っていよいよ来月には植樹だ。
2013年10月27日日曜日
敷居は低い方がいい その2
先週に引き続き、今回は鎌倉で漆のワークショップをしてきた。FabLabKamakuraは移築してきた蔵をリノベーションしたデジタル工作機材を備えた市民工房だ。もの作りを通して地域や学びといった本当の意味での「生きるちから」を育てようと様々な取り組みを行っている。自分で考えても分からないことは物知りに聞く、手で出来ない時には道具を使う、ということは何百年も行われてきていることで、これが現代では物知りはインターネットになり、道具はデジタルファブリケーションになったのだから当然これらの機材は当たり前のように整備されている。だからといって、それだけでもの作りができるというものではない。同じ時間、場所、空気を共有して、手から手へと直接でなければ伝わらないことが圧倒的に多い。「漆は塗料なのでとにかく塗りましょう」といっても、じゃあ、漆の基本的な扱い方は?みたいな身体の使い方はやっぱり技術のある人の「身振り」「手つき」を見て学ぶのがてっとり早い。今回は漆と顔料を混ぜ合わせることから始めた。混色にはヘラを使うのだが、市販のナイロン系プラスチックだと「コシ」がなくて使いにくく、金属系は堅すぎてこれまたダメ。結局自分の手に合った硬さになるように切ったり削ったりできる木がいい、ということになる。今日はこのヘラ作りから。あとは自由に好きな色を作って好きなものに好きに塗りましょう!というワークショップ。
口々に聞かれたのが、「こんなに簡単に始められるんですね」「意外に簡単」という感想、つまり漆に対する敷居の高さを先入観として持っていた、ということだ。確かに伝統工芸的な世界ではきっとこんなに簡単には漆を塗らせてもらえないだろうし、道具の仕立てももっと精密に指導されるはずだ。美術大学でさえそうだった。もちろん「伝統」を墨守することでしか守れない価値はあるから、それはそうであるべきだし、そこはきっちり垣根を作って高い敷居を設けておくべきだ。そしてそうした価値観のもとに生み出されるものに憧れる人はそういう道を選べばいいのだ。
一方で、そういう価値観でなくても漆は漆として存在し、自由に使われるべきだ。使われる権利があるといっても良いかもしれない。伝統工芸の世界はどこか同調圧力のようなものが働き全体としての制度が力を持つとても日本的な仕組み(重ねて言うがそれは本当に必要なもの)だが、可能性の広がりを求めるならもっと民主化しても良いと思う。漆を使う人の数だけ可能性がある、つまり多様であることが種の保存には有利なのだから。技術の民主化とも呼べるデジタルファブリケーションの隆盛は素材の民主化とも呼応して、これからもっと新しい可能性を見せてくれると思う。
勢い余って?電子回路に漆を塗りだした青年が「漆って絶縁ですか?」と聞くので、おそらく絶縁でしょうと答えたが真偽は不明だ。でもきちんと研究すれば何か新しい性質が発見できるかもしれない。3Dプリントしたヨーダにピンクの漆を塗ってキャーキャー騒ぐ主催者。ヨーダはさておき、3Dプリントに最適化された漆の調合が見つかるかも知れない。漆xシルクスクリーンは「枯れた」技術ではあるが、初めて触れた漆体験がシルクスクリーンだった革職人はこれからどんな世界を見せてくれるだろう?とにかく始めてみないことにはなにも分からない。そのためには敷居は低い方がいいに決まってる。
2013年10月22日火曜日
敷居は低い方がいい
2013年10月7日月曜日
秋の営み
夕方に自転車散歩に出た。
右が専業農家で左が趣味の米作り。専業農家では稲刈りと脱穀が一度に行われて、農協で集約的に機械乾燥にかけられるので、田んぼにはなにも残らない。一方、趣味の米作りでは稲杭(イナグイ、イネグイ)を組んで天然乾燥させるので、この櫓が建ち並ぶ。実は専業農家でも自分で消費する分は天然乾燥させるのだそうだ。やっぱり味わいが違うらしい。季節の景色としての味わいもやっぱり稲杭はとてもイイ。自然に働きかける人の行為が「営み」というカタチで目に見えるのはとても安心感がある。
少し行くと別の田んぼでは籾殻を蒸し焼きにしていた。ブスブスと煙を上げながら、こちらも秋の景色を作り出していた。辺り一面では少し鼻につんとくる炭焼きの燻した香りと金木犀の甘い香りが秋の空気の主導権争いをしていた。
稲刈りが終わった田んぼを切り裂くように我が家に続く農道。この両側の田んぼでは様子が違う。その違いとは?
少し行くと別の田んぼでは籾殻を蒸し焼きにしていた。ブスブスと煙を上げながら、こちらも秋の景色を作り出していた。辺り一面では少し鼻につんとくる炭焼きの燻した香りと金木犀の甘い香りが秋の空気の主導権争いをしていた。
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