2014年1月13日月曜日

食べ頃



 この辺りは自生のアオハダがあちこちにあって、正月飾りには重宝する。毎年、雪で真っ白になる時期でも赤々と実をつけていてさぞかし鳥にとっては分かりやすい餌だと思うのだが、なぜか、年が明けるまで「たわわ」に実っている。色は赤くても実は熟していないようで、鳥はその時期を知っているのだろう。年が明けて9日ごろから出窓の前5mくらいにあるアオハダに毎朝、鳥が来るようになった。窓をそっと開けてカメラを構えても逃げないくらいオットリしているこの鳥、図鑑をひっくり返しても同定できない。まあ誰でもええわ、のんびりしててええね、と思っていたら、昼ごろになるとやや荒っぽい別の鳥(下の写真、シギの仲間か?)の群れとの「抗争」が始まった!さぞかし「美味い」のだろう。数日であっという間に赤い実が少なくなった。ところでこの「オットリ」さんは誰なんでしょう?


2013年12月31日火曜日

It's all yours.

 毎年嫁さんが干支にちなんだ小さな置物?を買ってくる。来年の午は仙台の堤人形で。堤人形は元禄時代に始まる300年ほどの伝統を持つ。一子相伝ではなく形式を守りながらも多くの人形師によって受けつがれた堤人形は、伝統芸ながら時代の変化や廃絶の危機を乗りこえるだけの多様性を持っていたということだろう。一子相伝であることで守られるなにかがある代わりに、時代を生き抜く逞しさが失われては元も子もない。
 「堤人形は浮世絵が立体化したといわれるほど、造形力と描彩に秀で、蘇芳(黒っぽい赤)を基調とした配色、愁いを持つ表情と姿態は素晴らしく美しい。」と目録にもあるとおり、見よ、このおじさんと馬のなんとも絶妙な表情!

紅白歌合戦を背景に張子の巳から「あとはよろしく(It's all yours)」とバトンタッチの大晦日。

2013年12月29日日曜日

リビングの調理器具その2



 ああしておけば良かった、こうしておけばもっと使いやすかったのに、と後からあれこれと気がつくのが自前の普請というものだ。できればストーブも煙突を背面から出しておけばよかった(上面をすべてコンロとして使える)、とか、炉内で調理ができるタイプがよかったとか、言い出せばキリがない。それでもせっかくのエネルギーを使わないテはない。この時期じっくりと調理する必要のあるおせち料理やSTAUBを買って喜んでる僕らにはストーブは格好の調理器具となる。以前にも出来合のピザを焼いてみたことがあったが、ストーブにそっくりそのまま入れられるグリルパンを手に入れたので、早速テスト。
 生地練りはパン焼き機に任せる軟派なれど、トマトソースは前日に仕込んだプッタネスカ、チーズはグリュイエール、ゴーダ、ブルーチーズ、カマンベール、パルメジャーノ、ハーブはフレッシュバジルにルッコラと、ひと通り揃えていざストーブへ。ほんの5-6分で良い具合に焼き上がるので、次々とレシピを試したくなる。今夜は定番マルゲリータに続いてトマトソースを使わないピッツァ・ビアンカ。4種のチーズにアンチョビ、サーディン、焼き上がったところにルッコラをパラパラと、ピンクペッパーで仕上げ。これは絶品でした。

2013年12月21日土曜日

基本は同じ

 チェーンソーはその名のとおり、「ソー」つまり原理的にはノコギリだ。小さなノコ刃が高速で回転する。木材との摩擦で刃は高温に晒されるので冷却のために自動的にオイルが供給される仕組みだ。それでも当然、刃先は徐々に摩滅するので切れ味が悪くなってくる。切れなくなった刃物は研ぐしかない。研ぐと言ってもチェーンソーの場合はいわゆる「目立て」だ。ノコギリの目立ても「目立てヤスリ」というヤスリで行うのだが、チェーンソーには丸い目立て用のヤスリがある。どんな刃物も研ぐ際には刃物と砥石やヤスリの角度や位置関係が変わらないようにするのが肝心だ。これが「キマらない」と切れ味は良くならない。チェーンソーの場合はチェーンのひとコマひとコマに刃が付いているので、研ぐ際に刃が動いてしまってとても研ぎにくい。そこでこの目立てゲージなるものの登場である。これで刃の付いたチェーンの前後のコマをしっかり押さえることで刃が固定され、さらにヤスリが一定の高さで動かせるスグレものだ。以前は手間を惜しんで、電動ルーターの先端にダイヤモンド砥石をつけたもので研磨していたのだが、どうしても刃先を焼きなましてしまって切れ味が長続きしなかった。やっぱり刃物はじっくり感触を頼りに手で研ぐの方が、結局は切れ味も長続きするし、刃物そのものも長く使えるのだ。先日、刃先がほとんど無くなるくらいに小さく(研いで研いで長く使っている)なっているのに抜群に良く切れる本職のチェーンソーを使った時に、ああやっぱしそうだ、とあらためて認識した次第。刃物なのだと。



2013年11月30日土曜日

今年の総括というには少し早いが

 最近「3Dプリンター」や「レーザーカッター」を使うデジタルもの作りが話題だ。こうした機材を市民が自由に使えるような環境を整備した社会包摂型の市民工房、通称ファブラボが世界中に立ち上がり始めている。日本でも鎌倉や渋谷、仙台や大阪などで運営が始まっており、運営者は民間や大学、行政など様々であるが、お互いに情報を共有しあいより良い在り方を探っている。こうしたネットワークは世界にも広がっており、世界中のファブラボから代表者が集まって情報交換と勉強会の合宿のようなイベントが毎年どこかの国で開催されている。9回目を迎える今年の「Fab9」は横浜が会場となり、慶應義塾大学の田中浩也先生が中心になって8月の最終週に開催された。詳細はこちらから→

 Fab9では「Hybrid Craft」と題して講演させて頂いた。39ヶ国から250名あまりのFabLab代表者に向けて漆掻きからデジタルデザイン、そしてその実践までを駆け足でお話した。

 Hybridなどと題してみたものの、そもそもクラフトはハイブリッドな営みなのだ。自然の素材とあの手この手で格闘し、自然現象をなだめすがめつ操作し、なんとかモノに落とし込む、そのために様々な道具や技術を駆使する、つまりハイブリッドでアクロバチックな営みなのだ。だから、クラフトをよく理解している人にとっては、なにをいまさらハイブリッドなどと威張っているの?と問い詰められそうなものなのだが、なぜかこれまで一度もそういう審問に晒されたことがない。さておき、ハイブリッド感が漂っているようではまだまだ、と言われても仕方がないのである。

 最後には「I don't walk away from Craft although I'm really interested in digital fabrication and contemporary technologies.」と結んだ。以前イギリスに居た頃に、ある人からあなたはそういう人ね、といわれた際の表現をそのまま使わせてもらった。デジタルやテクノロジーに興味があっても軸足はクラフトなのです、ということをうまく表現してくれたと思って、英語ではいつもこう言う。

 つまり、デジタルもテクノロジーも素材を取り扱う者にとっては道具なのであり、道具そのものの存在感が際立つようでは、クラフトとしての意義は薄い。コンピューターもレーザーカッターも金槌も鋸も、使いこなしてこそ、つまり、その痕跡のようなものが不用意に残っていてはその道具に「使われている」のであり、その道具でなければ実現できないかたちや佇まいが、その技術の痕跡が高度に透明化されることで立ち上がってこそ、はじめて「使う」ということの意義が確からしくなる。「技術が透明化することで立ち上がる」とは非常に逆説的だが、優れたクラフトの仕事とはそういうものなのだ。その点、僕もまだまだアルゴリズムのデザインをうまく使いこなせていないなと、6月のMaterializing展や今回のFab9を通じて感じた。


 ともあれ、デジタルファブリケーションにとって工芸は豊穣な大地であることは変わりないと思う。と同時に工芸にとってもデジタルファブリケーションは新しい表現のため可能性の沃野であると思う。そういうメッセージが伝えられれば、といつも思う。

2013年11月22日金曜日

晩秋にして因果を想う


 今年は紅葉が綺麗だったと思う。全国的に秋が短いという長期予報を耳にしていたが、寒暖の差が大きいと紅葉が進むという定説?とは整合している。去年はどうにもくすぶったような色合いだったなと思い返してみれば、この家の工事をしていた3年前は目にもまぶしいほど鮮やかで、真っ赤に色づくモミジを背景に凜々しい大工さんの写真を撮って、大伸ばしのプリントにして工務店に差し上げたことなどを思うと、紅葉の色合いは年によって微妙に違うようだ。紅葉とは関係ないが、今年はこの時期悩まされるカメムシも圧倒的に少なかった(一昨年はブログに書くほど多かった)し、井戸水の断水頻度は高いし、、ん?全ては関係あるのかも知れない。自然の大きな大きな流れの中で紅葉もカメムシも井戸水もひょっとするとひとつの因果によって動的平衡を保っているのかも知れない。

2013年11月9日土曜日

ないものはつくる

 宮城県には漆塗りの文化財が多い。にもかかわらず、修復に使う漆を生産していない。これは困ったものだということで、宮城県で国産漆を育てようという取り組みを始めたことは以前にも書いたかも知れない。ウルシ(樹木としての漆はウルシと書く)の木は江戸時代には「畑の五木」などと言われ、桑や茶などとともにもともとは人里近い平地に植えられていた木だ。ウルシは生産性が低く、かぶれるなどの理由から山林へ追いやられてきた。現役の漆掻き職人さんたち(いずれも70-80歳という高齢)でさえ、ウルシは山の木だと思っている方も多いという。つまり、それくらい長い時間、ウルシは誤解されてきているということだ。
 ウルシは浅く広く根を張る樹種で、つまり、地上では広く枝葉を広げる木だ。ところが山林では木が密集していて枝葉を広げられずに、つまり、根が広く張らずに上へ上へと細く長く伸びるしかない。本来の生育状況とは違う状態の木は決して本来の性質を保っているとは言いがたく、病気の原因ともいわれている。広間隔(8-10m)でゆったりと植えればノビノビと育ち、樹間の下草刈り(山林ではこれが重労働)もゴルフ場や果樹園で使われる乗用草刈機を使えば楽ちん、漆が採れるようになるまでの数年間は、ワラビなど他の作物栽培も可能、近い将来には山の宝ともいうべき漆が採れる。。。と良いことづくめなのだが、問題は場所の確保。10m間隔で100本植えようとするとそれだけで1haが必要になる。かぶれる心配もあるのであまり人里に近いところは避けたい、と条件を考えていくとなかなか理想的な場所というのは見つからない。
 そこで思いついたのが震災によって耕作放棄された沿岸部の土地だ。幸いというか、浸水した地域からは人の営みは離れつつあり、でも賑わいは取り戻したいという地域の方々の複雑な思いにうまく寄り添えるのではいか、ということで地権者の方々に相談してみたところ快諾を得て、いよいよ年内にウルシを植えられることになった。
 場所は山間の扇状地で日当たりもよく山からの豊富なミネラルを含んだ水はけの良い土壌で、技術協力してもらっている研究員によればまさに理想的だ。今日はまずは整地、に先だつ立木伐採、に先立つ除草作業。4人がかりで半日で終了。草が枯れるまで二週間ほど待って、次は立木の伐採。整地というほど荒れてないので伐採が済めばおおよその準備完了。別に育てているウルシの苗木が落葉するのを待っていよいよ来月には植樹だ。