2014年9月25日木曜日

身体の拡張

 同僚の尽力で、縁あって大学で活版印刷機を譲り受けることになった。埼玉県朝霞の職人さんによって40年にわたって丹精込めて使い込まれた印刷機は、思ったより小振りながら機関車のような圧倒的な存在感だった。機構がそのままかたちになった、飾り気の全く無い、無駄な部品はひとつも無い、という意味でこんなに純粋な機械があるだろうか。

 今回の訪問は、大学で印刷機を動態保存、つまり使える状態を維持するために、使い方や手入れの方法を学ぶために学生共々研修を受けるのが目的だ。譲り受けるにあたっては、他にも希望する大学や公的機関があったそうだが、いずれも博物館入りが目的で、動態保存を申し出た宮城大学の提案が職人さんの心を動かしたそうだ。不自由な身体のために印刷業を選んだというこの職人さんの人生も含めてまるごとお譲り頂きたいというこの同僚の熱意を後押しした形だ。

 コンピュータでさえしばらく使わないと調子が悪いように、物理の塊のようなこうした機械はとにかく一度止まると調子が崩れるもので、特に何十年もひとりの人間の手によって使われ続けてきた機械だと、その人のクセのようなものが染み込んだ独特の調子に調整されている。たった二日間の研修では当然そのクセのようなものまで体感できるはずもないのだが、どんな人がどんな手つきで機械を扱うのかを見届けずには責任持って預かれないので、同僚に付き添ってきたというわけだ。

 仕事柄、人と技術の関係には想いをめぐらせることが常だが、今回ほど機械、いや、それを取り巻く空間そのものが「身体の拡張」として感じられたことはない。基本的には規則的に並べられてはいるものの、随所に意味ありげに(あるのだ)ぞんざいに置かれた活字や道具やその棚の配置や角度など、隅々まで職人さんの神経が行き渡っているような、まるで職人さんの体内にいるような工房の雰囲気には圧倒された。活字も含めて一式譲り受けるために、メンテナンスに出される機械以外の棚などを解体することによって、二度と取り戻せないそうした調和のようなものを壊さざるを得ないのは、本当につらい体験だった。快く譲って下さるとはいえ、こちらが勝手に忖度しているのとはかけ離れたほどにアッケラカンとされているとはいえ、人生の一部といっていい機械とその環境が目の前で解体されていく心中は察するに余りある。とてつもなく大切なものを預かることになった。 




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