2011年6月26日日曜日

梅雨とベアリングとシシリーの青い空

ついに梅雨の季節がやってきた。久しぶりのフルの休日で草刈りや薪の整理やもろもろ庭仕事をやるぞ、と意気込んでいたのに朝から降りっぱなし。なので今日はあきらめて最近多忙ですっかりご無沙汰の自転車のオーバーホールを。雨が多くて乗車率が下がる梅雨時はサビも発生しやすいし、湿度も高くて汚れもしつこいので、この時期はオーバーホールが必須。

もっともやりがいのあるのがこのベアリング掃除。古いグリスを洗い流して組み直す。めんどくさいけど、閉め具合で回転のスムーズさが決まる微妙な作業が大好き。

最近は分解できないシールドベアリングが多い(特にMTB)けど、やっぱしこれだ。「整備」っぽいし。シールドなんて交換するだけだし、工夫なし。「締め具合」、これって自転車の全てかも。スポークとか。部分によってそれぞれ微妙にちがう「締め具合」があって、まあこれは機械全般に言えるけれど、違いを理解してコントロールしてこそ自分のモノになる感じがする。

先日、建築家の青木淳さんのお話を聞く機会があった。どんなものでも「ジョイント」と「エッジ」にその品質が現れる、という。然り。たとえば扉の蝶番のようなもの。壊れないように頑丈に作られたものはどこかしら野暮ったくなる。できるだけスマートに、それでいてきっちり頑丈に作るということにはコストも技術も必要になってくる。身の回りでもきっちりとしたジョイント、つまり見事に接合や組み付けが行われているものにはそれなりにコストがかかっている。身近なものではやはり最近のApple製品を思い出してしまう。iPhoneにしてもiPadにしても簡単には分解できそうにない(できるけど)ように見える。なにより「ネジ」がないのだから「締め具合」ということとは無縁の組み方がしてある。外観からはその組み方の構造や仕組みがわからないというある種のブラックボックス化と言える。ブラックボックスを作る側には大変な工夫と努力が必要だが、扱う側にはそんな素振りは微塵も見せない、という取り澄ました風情がつきもので、これはこれでその澄ました顔をどうやってこちらに振り向けるか、つまりあの手この手で気分を損ねないようにご機嫌を取りながら攻略してキレイに分解することも、基本的な機械いじりの楽しみではあるが、一方で作る側も扱う側も丸出しのルールで、つまり組み付けている構造が丸見えの仕組みで出来上がっているものとの付き合いもこれまた楽しい。なにより急にそっぽをむかれそうな不安がない。むしろ一緒に相談しながら「こんなもんですよね?」と作った人とその締め具合の感覚を共有しながら作業している安心感がある。

あちこち分解、清掃、組立てて、操作しながら組み付け具合の確認。もちろん「こんなもんだよね?」とカンパニョーロのクラフツマンに相づちを求めつつ、新緑の猛烈な繁茂で映らなくなったCSのジロ・デ・イタリアの中継DVD(同僚のMさんが焼いてくれる。結果をまだ知らないボク)を一ヶ月遅れの生中継よろしく、だらだらと流しながらの作業で気分だけはシシリーの青い空。

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