2013年4月14日日曜日


 竹を分けてもらった。乾燥した竹は着火性がよく、一気に高カロリー燃焼するので、ストーブの焚きつけにはうってつけだ。車で北へ小一時間ほどの大崎のこの農家の方は、正月の門松を作っておられる。このあたりはまだまだ立派な門松を飾るようで、中には直径が15cmほどの太い竹もある。この方は作るだけではなくて、松の内が明けて要らなくなった門松を回収して竹を二次利用されている。竹炭を焼いたり、そのまた副産物の竹酢液を利用した減農薬農法でお米やぶどうを作っているのだとか。陶芸家の嫁はんはこれでヘラ作りには一生困らないとか。そういえば漆の仕事でもヘラは必須で、とにかく種類が多い。作業に合わせて檜の薄板を自分の手に合うように仕立てる。そのための漆仕事専用の刃渡り20cmほどのドスの親玉みたいな塗師屋包丁(ぬしやぼうちょう)という道具を使う。大学2年の時にいきなりこれを買わされたときにはびっくりしたものだ。それはそうと、この農家さんでは9-10月はぶどう狩りが楽しめるそうだ。絶対行くのだ。

2013年3月31日日曜日

春近からじ?

 去年のちょうど今頃の投稿を見ると、蕗の薹の話題だ。雪が多く寒かった印象の今年も同じようにあちこちから蕗の薹が顔を出しているが、むしろ、去年より薹(とう)が立っているくらいだ。急に暖かくなったせいか、冬を越したクロッカスも慌てたように咲き出した。慌てたせい(?)か、花の位置が地面に近いような?。。今回の発見はドングリ。あの固い殻をそっくり脱ぎ捨てて、先端からまずは地中に根を伸ばし、このあと、種子の中央から2つにパカッと開いて天に向かって伸びてゆくのだそうだ。ドングリはそのものが種子で地中に埋まって発芽するものとばかり思っていたので、これは驚きだった。ドングリと一口にいっても、その親はクヌギもあれば樫や楢もあって、これは一体なんなのか判明するまでは数年かかるが、いずれにしろ「ドングリ」とは、ブナ科の果実の総称らしい。ともあれ、この瑞々しい色彩といかにも若々しい肌合いが春をググッと引き寄せる力強さに満ちている。。。と思っていたら、今日は雪が降った。三寒四温の「寒」がキツい仙台なのです。

2013年3月16日土曜日

天然版杉本博司

ここ数日で一気に気温が上がりだした。今日は日中12度もあり、さすがの我が家の「秘境」も最期の時を迎えようとしていた。ここは毎年豪快なつららが見られるところで、一番寒い時期にはせり出した岩の先端から川面までの約3mを縦に繋ぐ氷柱が出来るほどだ。このあたりの岩は花崗岩が風化した?ような質感で、表面から鱗状にボソボソと剥がれてゆく。雪解けによって年々表面が削り取られていっており、今年は氷柱の付け根から一気に崩れ落ちたようで、直後だったらしく、割れた断面がくっきりとまるでガラスの塊のようだ。つい先日杉本博司の展示を見てきたが、ひょっとすると、ガラスの作品もこうした天然の造形が原風景なのかも知れない、と思わせるようなどこかしら神秘的な佇まいだった。春が来た。

2013年3月11日月曜日

舟大工vs.家大工

 「うぶすなの家」に行ってきた。2004年の新潟県中越沖地震と豪雪で打撃を受けた民家に活力を呼び戻そうと、「大地の芸術祭2006」で「やきもの」をテーマに再生されたそうだ。1924年(大正13年)築の茅葺屋根の古民家。筑波大学安藤邦廣教授の再生計画によるもの。地震でやや傾いたものの、躯体はしっかりしており、一部に木構造を挿入してレストランや美術館として機能している。圧巻はなんといっても越後の積雪に耐えた根曲がり材の梁だ。どう見ても図面が存在しそうにない、再現不能な、でも釘を使っていないから移築の可能性を内包する、すばらしく精緻で、それでいて力強い造形だ。通り芯程度の図面(と呼ぶほどのものさえ無いのかもしれないが)さえあるのだろうか?各部屋の配置と大きさ程度が決まればあとは大工が材料をにらみつつ、適当(もちろん”いいかげん”という意味では無く)に材料を配置していってできあがった、ある種の即興的なスピード感と精度を感じる。以前に木造和舟の復元制作をやったことがあるが、その時見学に行った船大工のおじいさんの手際もまさにそういう即興的なもので、帰ってから見たままにやってみたところ、材料どうしが全然合わず、あらためて手に具わった技術の凄さを痛感したものだが、この家の大工さんの技もそうしたものの一つだろう。ほとんど曲線ばかりで高度な技術が必要な舟大工の方が家大工よりも格が上だという話を聞いたことがあるが、なかなかどうして、まさに舟のミヨシ(舳先のことミ:水押し)のようななんと呼んでいいのか分からない部材は迫力満点でした。



2013年2月28日木曜日

敵うわけもない


 前回の投稿で自然の造形について書いたが、こんな造形にはそもそも敵うわけもない。





2013年2月27日水曜日

造形

 不思議な言葉だ。とらえどころがないのに結構使っている。「形体をこしらえること」新村出編『広辞苑』(岩波書店、昭和30年)、「形のあるものを作り上げること」松村明『スーパー大辞林3.0』(三省堂2006-2008)など、いずれも省略されてはいるものの、明らかに主語は「人」だ。人が形を作る、その行為全般を指していると言っていい。現実的には「造形芸術」や「造形美術」などといった使われ方が多いので、芸術的な印象のある言葉だと思う。芸術の世界では表現をカテゴライズする際にも用いられ、その範疇には絵画、彫刻はもとより工芸や建築も含まれる。一方で英語では?と調べると「molding」とそっけない。moldingはむしろ「型に入れて作ること」すなわち鋳造のイメージが強い。「こしらえる」といった手をつかって直接物質を整えるというよりは、やや機械的に行う印象だ。「造形美術」となると「the formative art」となって、「絵画と彫刻をさし、建築や工芸は含まない」井上永幸・赤野一郎編『ウィズダム英和辞典』(三省堂2006-2008)となる。つまり英語では日本語でのイメージの「造形」を表現するこれといった1つの言葉がないのだ。日本語としても「造形をしています」というのは様々なものづくりの場で使われる便利な言葉で、自分自身もそうだが、「工芸家」というよりは「造形家」というほうがしっくりくる、というように意味をややぼんやりさせることが出来る。

一方で、「自然の造形」という表現もある。こちらはぼんやりどころか、かなり表現する中身ははっきりしている。まさに自然現象によって作り出される形のことだ。だれかの恣意ではなく主語は「自然」だ。人の営みとしての「造形」よりももっと「造形」という言葉の響きがしっくりくる感じがある。「自然の造形にはやっぱりかなわないな」というような言葉をよく耳にするが、どこかで「造形」というものが人のものではなく自然のものだという認識が人間の中にあるのかも知れない。そもそも「造形」は人ではなく自然の営みなのだ。それを引き寄せるために人は様々なものづくりを工夫するのかも知れない。影も形もこういう景色にはやっぱり「造形」ということばがしっくりくる。


2013年2月23日土曜日

春にして日露戦争を想う?

 立春とはよく言ったもので、気象庁の統計を見ても少なくとも過去数年は確かに2月4日を過ぎると、というより初旬前半あたりにかけて気温が下がり、立春を境に数日間でググッと気温が上がる傾向が伺える。今年は2日に12.9度、7日に9.8度と高く、間の6日にグッと低くて1.1度(いずれも最高気温・仙台市)と変位が激しかったのでより「春らしさ」を感じたようだ。しかしながら、今年はここまで(22日)全体的に気温は下降傾向で例年の緩やかな右肩上がりのグラフとは明かに趣を異にしている。明日も今年最大の寒波がやってくるとかで、「春遠からじ」ならぬ「春近からじ」といったところ。そんな季節の変化を知ってか知らずか、近所では白鳥の群れが鮮やかなV字編隊を組んで飛んでいたり、鷺がひょっこり現れたりと、大きな鳥を目にすることが多い。

鷺には夏鳥(日本で繁殖して冬は南方へ渡る)と冬鳥(冬に日本へ渡り越冬する)の二種がいるようだ。冬鳥は日本以北のより寒いところからやってくる訳なのでこのあたりの寒さくらいはむしろ暖かいのかも知れない。日露戦争で帝政ロシアが「凍らない港を求めて」南下したというエピソードを思い出した。冬の日本海などは寒さと厳しさで荒涼としたイメージがあるが、ロシアの人々にとっては凍らないくらい「暖かで豊かな」印象なのだという。同じ地域でも異なる立場で眺めると価値観は随分と違うものだ。この鷺はこの時期にいるので冬鳥だろうか。よく見ると夏によく見る少しグレーがかった鷺とは違うようにも見える。ロシアはもうさすがに簡単には南下して来られないが、鷺は今年もいつものようにやってきて帰って行く。季節にも国境にも価値観にも縛られない、渡り鳥はどこまでも自由なのだ。